8 『わたしのかわいそうなマラート』──夢のゆくえ

2016.11.26

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 アレクセイ・アルブーゾフ(1908〜1986)作『私のかわいそうなマラート』を見た。「per il mondo」公演。お馴染み、劇団キンダースペースの女優、古木杏子さんが出演している。劇場は、新宿の「SPACE梟門」。

 1941年のドイツ軍によるレニングラード包囲戦を生き延びた3人の若者を描く対話劇で、2時間半に及ぶ芝居は、二人の男と一人の女を巡る恋愛劇でありつつ、それ以上にそれぞれの人生を懸命に探し求める魂のありようを描き切って見事だった。

 今回は、古木さんの案内で見に行ったわけだが、古木さんは、さすがにキンダーで鍛え抜かれた女優だけあって、筋の通った、屋台骨のしっかりとした演技で芝居を作り上げていた。いつもは、独特の低い声で、心の底をえぐるような芝居をする古木さんだが、今回はそれに加えて16歳の少女の可憐さも見事に演じ、役者としての幅の広さを実感させた。これからの活躍が楽しみだ。

 リカ(古木杏子)が、「人生でいちばん素晴らしかったのは14歳だわ。」といったようなセリフを口にしたとき、ふいに涙腺が緩んだ気がした。近ごろ、いわゆる歳のせいなのだろうか、ちょっとしたことで涙ぐむようになったのは困ったことだが、それにしても、「14歳」がやはり人生の「もっとも輝かしい時代」であるという認識が、ソビエトの劇作家にもあったのは驚きだった。たしか、宮沢章夫にも『14歳の国』という戯曲があって、いつだったかその一部を栄光の演劇部でやったことがあった。内容はよく覚えていないが、やはり「14歳」は特別ということだろう。14歳というのは、日本の学校でいえば中学2年から3年への時期で、そういえば、ぼくはイマイチ意味内容がつかみかねる「中二病」も結局は「14歳」という枠でくくれるのかもしれない。

 要するに、「14歳」は、ぼくにとっても、まさに「黄金の日々」であったわけで、それは、決して華やかな衣装をまとっていないが(そればかりか、規律と勉強に縛られたカトリック男子校という、いわば「暗黒の時代」のただ中だったのだが)、ぼくの内部は光り輝いていた。それを外側からみれば「昆虫採集への熱中」というツマラナイ様相を呈していたのだけれど、内側からみれば、それがすべてと言えるほどに充実した光り輝く時間だった。そして、その時間の中に、ぼくの「ほんとうの夢」「ほんとうに実現したいこと」のすべてが詰まっていたように思うのだ。

 リカが、そういうセリフを吐いたのも、リカの「今」が、決してその「夢」を実現しえていないという自覚があったからで、ぼくが思わず涙ぐんでしまったのも、ぼくもまた「そうである」からだ。ぼくは、自分の人生を振り返ってみて、悪くなかった、いや、なかなかよかったと思ってはいるけれど、そうかといって「やりきった感」はない。何をやってもどこか中途半端で、「死にものぐるいで、全力で取り組んだ」という経験に乏しい。そして晩年を迎えて、まあ、そんなものかと、ほとんど「諦念」といってもいいような心境にある。そういうぼくに、まず、グッと来たのがリカのそのセリフだった。

 レオニージク(今井典和)は、詩人を夢みているが、いつも自信がなく、「ほんとうにいい詩」は決して人には見せずに、どうでもいい詩ばかりを見せている。それはたぶん、自分がこれこそ自分の言いたいことだ、これこそ自分が最高の詩だと思っているものだというものを見せて、それが否定されることを恐れているからだろう。どこかで、ほんとうの自分は、君たちの知らないところにあるんだ、でもそれを君たちは知らないだけなんだ、という「逃げ道」を作っているのだ。ここにも、ぼくは胸をうたれた。そういうことってあるよなあ。というか、ぼくの生き方って、そういうことだったのかもしれないなあ、とふと思ったのだ。

 芝居は終盤になって、マラート(高田賢一)の次のセリフによって急速に収斂する。「ぼくは、死ぬ間際になっても、いちから始めても遅くはないと思っているんだ。」マラートは、橋の建築、レオニージクは詩、そしてリカは医学への夢の本当の実現のために進み始める。彼ら3人が出会ってから17年ほどを経て、ようやく彼らは、自分の夢に向かってほんとうの歩みを始めるのだ。

 彼らはまだ30代の前半だ。ぼくは60代の後半だ。比べものにはならないと言いたくなるが、案外そうでもないのかもしれないとも思う。彼らにしても、このあと、挫折の連続でないという保証はないし、むしろ挫折の連続であることのほうが十分に予想されることだ。問題は、「夢の成就」とか「夢の実現」じゃない。夢のために「力を尽くしつづける」ことだろう。

 14歳の頃の夢を思い出して涙ぐみ、結局おれの人生、言い訳ばかりだったよなあと反省させられ、でもいつ始めたって遅くないんだ、一度でいいから本気で頑張ってみろと励まされた。こんなにも、芝居と今の自分がシンクロしたというのも、戯曲・演出・演技のいずれもが素晴らしかったからだ。改めて感謝したい。このごろ、芝居を見ても、何を見ても聴いても、感謝の言葉しかでてない。

 


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