寂然法門百首 31
2020.10.16
即脱瓔珞細軟上服
そむけどもこの世のさまにしたがへば思はぬ今日の衣替へかな
半紙
【題出典】『法華経』信解品
【題意】 即ち瓔珞と細軟(なよらか)なる上服 (「而+大」の文字は「軟」に同じ)
珠玉の飾り玉と柔らかな立派な服を脱ぐ。
【歌の通釈】
世をそむいたけれど、この俗世の習慣に従えば、思ってもみなかった今日の衣替えであるよ。(如来長者も愚かな息子に近づくために、思ってもみなかった衣替えをするよ。)
【考】
『法華経』信解品、長者窮子の比喩において、我が子に近づくために、長者が賤しい衣に着替えた場面を、出家者の「初冬」の更衣の心により詠んだもの。(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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いよいよ「冬」の巻が始まります。
山本章博によれば、この「寂然法門百首」は、経典の中から、あえて季節感のある字句を抜き出しているところに、特徴があるそうです。この「題」などは、季節感はありませんが、「立派な服を脱いで粗末な着物に着替える」というところを、日本の季節にあわせて「衣替え」としたわけです。
「俗世を捨てたけれど、この世の習慣に従う」といったあたりは、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」がすぐに思い浮かびます。西行の歌では、出家の身にも秋の情緒は感じられる、ということで、「季節の情緒」が主になっていますが、この寂然の歌では、「子への愛」が歌われています。子どもに会うためならば、あえて俗世の習慣にも従うというかのような、「愛」の姿でしょうか。
仏教でも、キリスト教でも、信仰は、人間本来の感性や感情を否定するものではない、ということなのかもしれません。