寂然法門百首 7
2019.5.18
下仏種子於衆生田
年をへて荒れゆく小田を打返しけふぞ種蒔く室(むろ)のはやわせ
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【題出典】
下仏種子於衆生田、生正覚芽。
仏の種を衆生の田に下し、正覚の芽を生ず。
【歌の通釈】
年を経て荒れていく田(煩悩で荒れた心)を鋤き返し、今日種を蒔くよ。室で育てた早稲を。(無漏の円教の発心の種を)。
【考】
煩悩に染まった衆生の心に、仏が円教の発心の種を蒔く。これを春の荒田を耕して種を蒔く「苗代」の歌の心によって詠んだもの。
(以上、『全釈』による)
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人間の心は煩悩にそまって種を蒔いても育たない固い土と化しているので、仏はまず、その土を耕して柔らかくしたうえで、そこに最上の種を蒔いてくださる、という意味。
この話はどこか新約聖書の話に似ている。農夫が蒔いた種は、固い土の上では芽を出さないが、柔らかい土では芽を出すという話。そこでは、どういう土なのかが問題となり、イエスはみずから進んで土を耕そうとはしない。教えがどのような人にとって有効なのかを示すにとどまるのだ。
この教えは、そこから更に進んで、ほとけはまず土を耕してくださる、という。
どちらがいいという問題ではない。ただ、仏の慈愛の広大な暖かさを感じるのだ。