98 美空ひばりを聴こうか

1999.12


 

 

 何の気なしにテレビの歌番組を見ていたら、美空ひばりの小特集があった。『悲しい酒』『ひばりの佐渡情話』『車屋さん』などのビデオが流れた。それを見、聞きながら、ほとんど絶句した。

 ほんとうにうまい。いまさら言うのも気がひけるが、ほんとうに天才的な歌手だったのだ。そのことが身にしみてわかった。

 美空ひばりの歌に比べたら、スピードでもモーニング娘でも、歌とは言えないなんてことを言うと、いかにもオジサンという感じだが、この際そんなことはどうでもいい。

 20年ほど前、ぼくがカラオケで演歌を歌いまくっていたころ、ある人に、「山本さんは、語るからいい。」って言われたことがある。たしか『矢切の渡し』を歌ったときのことだ。ぼくにとってはその言葉は最高の賛辞だった。舞い上がったぼくは、これからは演歌一筋に生きようかなんて思ったくらいだ。もちろん、すぐに醒めてしまったが。

 ぼくの演歌のこともどうでもいい。歌う歌と語る歌についてだ。歌う歌というのは、たぶん、メロディやリズムに酔った歌だ。語る歌というのは、歌詞を噛み締める歌だ。そういう意味では、ひばりの歌は、徹底的に語る歌だ。

 先日、米良美一が、ラジオに出ていて、ひばりの歌は、裏声と地声をうまく使い分けているところがすごいんだということを言って、自分でも歌いながら、説明をしてくれた。実は、その話を聞いていたから、今回何の気なしに聞いたひばりの歌が、実によくわかったのだ。

 ひばりは驚くほど繊細に、歌詞の一つ一つに声の色を付けていく。裏声にもいろいろな色合いがあり、地声にも強い声から、色っぽい声まで無限の色合いがある。そして歌全体は、まるで、角度によって様々に色の変化するカットガラスのように、キラキラ輝いたり、絹織物のように渋い影をたたえたりする。

 例えば『ひばりの佐渡情話』。最初の「佐渡は」というだけの歌詞につけたひばりの歌は、およそ信じられないほどの微妙な色合いを見せている。この一節だけで、佐渡の風景が心の中にしみこむように広がってしまう。ほんとうにすごいとしか言いようがない。

 美空ひばりが生きていたころ、そのどこかエラソウナ態度とアクの強い歌いぶりに、嫌なものしか感じなかった。歌がうまいことは分かっていても、余計なことに邪魔されて、純粋にその歌を聴くことができなかった。

 今こそ、ひばりをしみじみ聴くときかもしれない。