90 ギョーアンイマシアカルメバ

1999.10


 

 小学校に入学して最初に教えられたかどうかは知らないが、少なくともかなりはじめの頃に教えられたに違いない歌は校歌である。

 ぼくが入学したのは、うちのすぐ裏手にあった横浜市立日枝小学校という学校だったが、たしかぼくが五年生だかの時に、創立五〇周年を迎えたような記憶があるので、かなり古い学校である。年輩の方はご存知であろうが、押し相撲で有名だった大関若羽黒がここの出身だし、つい最近知った所では、テレビドラマに渋い中年役でよく出ている西岡徳馬もこの学校の出身で、ぼくより2〜3年先輩らしい。

 それはさておき、古い学校だから校歌も古い。その校歌の一番の冒頭の一節が「ギョーアンイマシアカルメバ」というのである。これほどムズカシイ冒頭を持つ小学校の校歌というのは全国でも珍しいのではないかと勝手に思っているが、とにかく卒業して何年たってもこの意味がわからなかった。

 ところがこの校歌、この後はたいへん平明で、「港都の空に星消えて、白カモメ飛ぶ朝空を、静かにわたる丘の鐘」と続く。これはなかなか港町横浜の学校らしいハイカラな感じで、とてもいいのだ。もっとも近くの丘に建っていたのは教会ではなく、日蓮宗のお寺で、ちょっとハイカラというわけにはいかなかった。まあそれはそれでよしとしよう。問題は「ギョーアンイマシ」である。

 実は漢字を見れば簡単なのだ。漢字では「暁闇今し明るめば」である。つまり「明け方の闇が今しも次第に明るくなっていくと」という意味なのである。しかし、ぼくは文字を見て覚えたのではなく、ひたすら耳で覚えたのだから、その文字をほとんど目にしたことはなかったのだ。

 「ギョーアン」が「暁闇」であると知ったのはいつのことだったのだろうか。それが中学生の頃だったか、高校生の頃だったか、今ではよく思い出せない。しかし、校歌のイメージがパッと全部わかったという感覚が頭のどこかにはっきりと残っている。それはまさに「暁闇」が朝日によって溶け、丘の上から俯瞰する港町の風景として心に定着した瞬間だったはずだ。

 意味不明の「ギョーアン」という言葉は、どこかしら荘重で、またどこかしらもの悲しい響きでぼくを魅了しながら、意味の解明をじっとぼくの心の中で待ちつづけていたのだ。