89 箱根の山はテンカノケン

1999.10


 

 ぼくがはじめて歌った歌が何であるか、そんなことは覚えているはずもないが、はじめて人から教わって覚えたという自覚のある歌は、はっきり覚えている。「箱根八里」だ。

 滝廉太郎作曲、鳥居 忱作詞のこの歌を小学校にもあがっていないぼくに教えたのは、一緒に暮らしていた祖父だった。いつも穏やかだった祖父が、いったいどうしてこんなに難しい歌を教える気になったのか、その気持ちははかりしれない。

 とにかく意味が分かったのは冒頭の「ハコネの山は」までである。あとは何が何やらさっぱりわからない。「箱根の山はテンカノケン、カンコクカンモモノナラズ……」。

 おそらく習った直後は、「ハコネ」すらわからなかったに違いないのだ。その後、何年もかけて次第に意味がわかってきたという過程を経たはずだが、それにしても、全体がわかるまで最低でも10年はかかっているだろう。

 「テンカ」は何となくわからないこともない。当時は時代劇全盛のころだったから、「テンカゴメンの」とか「テンカのイチダイジ」だのという言葉のついた映画があって、たぶん小学生になったころにはだいたいの意味は分かったに違いない。しかし、「ケン」とは何か。この辺から俄然言葉の森が険しくなる。

 次の「カンコクカンモモノナラズ」となると、全部わからない。何となく「カンコクカン」という響きのカクカクした感じが伝わるだけで、まさか中国の「函谷関」だなんて思いもよらない。「バンジョーの山、センジンの谷」あたりは、おぼろげながらその後の「昼なお暗き」あたりと相まって、奥深い山なんだなという感じ。しかし、「ヨーチョーのショーケイは……バンプもヒラクナシ」になると、もうお手上げである。ぼくはいつの頃からか、この「バンプ」というのを「ランプ」だと思い込み、その上なぜかこの辺にくると真っ暗な山の中でパッと羽根を広げたクジャクのイメージが浮かんだものだった。

 結局何のことやらわけもわからず、大人がエライエライなんて誉めるのをいいことに、エンエンとこの難しい歌を歌って得意になっていたのだろうと思う。祖父もそんなぼくを見てニヤニヤしていたのかも知れない。

 しかし、この言葉の迷宮のような歌は、後年その意味がわかると同時にその魅力を失った。不可解な言葉の森の中をさまよっていた幼児期の方が、かえってこの歌の深奥を豊かに味わっていたようである。