82 オカマバーは一度だけ

1999.9


 

 

 面白すぎて思わずやめてしまうということがある。自分を見失いそうになるからである。といっても、失うほどの自分があるのかどうかはなはだ心もとないが、それでも我を忘れて没頭することが、時としてヤバイことだってあるわけである。その一つにオカマバーがある。

 都立高校に勤めていたころ、都心に住んでいた同僚の先生で、飲むと最後に行き着くのはオカマバーだという人がいた。その人は別にそっちのヒトではなく(多分)、普通の家庭人なのだが、その手の店がやたら好きだった。で、その人にある日連れて行かれたのである。何軒かで飲んで、いよいよ新宿の多分2丁目の小さな店に入った。あらかじめ聞かされていたわけではないが、さすがに入った瞬間それと気づいた。

 店のヒトたちは、たしか三人いたと思うが、みな結構な年輩で、ぼくよりは年上のように見えた。二人が和服を着ていて、もう一人若めの人が洋服だったと思う。ソファーに座ったぼくの両隣に店のヒトが座り、かいがいしく世話を焼いてくれる。おビールついだり、膝にこぼした水を拭いてくれたり、挙げ句はおつまみまで口に入れてくれる過剰なサービス。その上、話がやたら面白い。下品でしかもちょっと教養があって話題が豊富で、とことん楽しませてくれる。

 女の子のいるスナックなんかで飲んでいると、気がついてみると、彼女たちを懸命になって楽しませていたりする。それも結局は自分が男としてもてたいというスケベ根性がなせるワザ。しかしここでは、そんなスケベ根性も出ようがない。彼らを見下しているわけではないが、もてようとは思わないのだ。だから、とことんバカを言える。彼らがもっともっとバカなことを言うから、何を言っても軽蔑されることがない。これはほんとに楽だし、楽しい。心が開放される。

 同僚の先生がどうして行き着くところがここなのか、よく分かった気がした。底抜けに明るい彼らを見ていると、羨ましくなって、こんな所でこうやって働くのも悪くないなあなんてふと思ったりした。女の格好をしてしまえば、何でも言えるような気がした。

 とことん飲んで、新宿から横浜までタクシーで帰った。時間を忘れるほど面白かった。面白すぎた。

 それ以来、二度とその手の店には行っていない。もっとも新宿のその店はぼくらが行ってから2週間もしないうちに火事で全焼してしまったらしいのだが。都はるみも常連の店だったという。