79 夏の終わりの嘆き

1999.8


 

 

 近頃の中高校生たちは、新聞も読まなきゃテレビも見ない。だから何にも世の中の出来事知らないんですよね、と若い教師。

 この夏の痛ましい丹沢での水難事故に話が及び、でも、一歳の赤ちゃんは運がいいねえ、岸に流れつくなんてねえ、と別の若い教師。「おいおい、違うぞ。その赤ちゃんは流れついたんじゃないよ。その赤ちゃんのオジが岸に向かって投げたんだ。それを別の家族のお父さんが流れに入っていって間一髪つかんだんだ。その父親には後ろから息子がしがみついて流されないようにしてね、テレビでやってたろ?」とぼく。「へえー、そうなんだ」。テレビを見てないのは、中高生だけじゃないわけだ。

 その事故のおきたすぐ近くの河原にはまだ遺体捜索が続いているというのに、もう色とりどりのテントが張られているということを、神奈川新聞のコラムに斉藤由貴が書いていた。今度はぼくが驚いた。そこまでちゃんと新聞を読んでいなかった。斉藤由貴は、そんな事故が起きたすぐそばでキャンプをやって楽しいのだろうか、とその想像力のなさをに首を傾げていた。

 そういえば、2週間ほどまえのテレビで、サイパンの通称「バンザイクリフ」に観光で来ていた若い日本人に、何で「バンザイクリフ」と言うか知ってますか? と聞くと、誰も知らない。中には「バンジージャンプでも昔やったの?」と言う女性までいる。

 ぼくは、戦後すぐの生まれだから、知らず知らずのうちに「サイパン」とか「グァム」とかいうと、すぐに戦争をイメージしてしまう。そこで多くの日本人が無惨に死んでいったことを知っている。つい最近まで、サイパンに遊びに行くという感覚自体、ぼくにはどうしても理解できなかった。しかし、そういうぼくでも、最近では日本人がサイパンに泳ぎに行こうが、グァムに釣りに行こうが、気にならなくなっている。まして、高校生が「バンザイクリフ」を知らなくたって、それほど驚くことではない。

 しかしながら、自衛隊員や消防隊員が必死で遺体の捜索をしているすぐそのそばで、しかも事故現場のすぐそばの河原でキャンプをして平気という神経と、「バンザイクリフ」を「バンジージャンプの場所?」と答えてヘラヘラ笑っている神経とは同質のものだろう。

 自分の快楽以外のことに対する無関心。無知を恥じない心。想像力の欠如。本当にいつからこんなに日本人は堕落してしまったのだろう。夏の終わり、珍しくこんな嘆きが胸に満ちている。