72 けっこうこわい

1999.7


 

 ヒヨコが大きくなるとニワトリになる。当たり前のことだが、現実にこれが起きるとなかなか大変なことになる。

 と言っても、ぼくが幼い頃縁日などで買ってきたヒヨコは、買ってきた翌日にはたいてい死んでしまったものだ。だから、今から10年ほども前のことだが、隣の家でピヨピヨ鳴いていたヒヨコがあっという間にニワトリになってしまったときは、かなりうろたえた。それも1羽ではない。4〜5羽もいっぺんにニワトリになってしまったのである。

 隣で、年がら年中コッコッコッコッと鳴かれては、せっかくの都会が台無しである。まがりなりにも、ヨコハマなのだ。ニワトリなんか飼うな、と言いたくもなる。しかしそこはまあご近所だ。無碍にも言えない。それに隣にはその頃はまだ小さい子どももいたから、仕方ないと思っていた。

 ところがある朝、出勤しようとして玄関のドアーを開けると、ココッとけたたましい声がして、数羽のニワトリが慌てて隣の庭に逃げ込む後ろ姿が見えた。垣根の隙間から侵入したらしい。しかし、どうしてと思って下を見ると、葉くずのようなものが散乱している。何の葉かと見回せば、門扉のそばに正月用に植えた葉牡丹がない。ない、というより、芯だけになっている。葉牡丹の芯といってもイメージわかないだろうが、地面から巨大な芋虫がニョッキリ生えている様でも想像していただきたい。二株あった葉牡丹が、二株とも食い尽くされていたのだ。

 ニワトリはよほど冷遇されて葉物も食べさせてもらえなかったのだろうか。それとも、垣根越しに見える赤と白の葉牡丹が、よほどうまそうに見えたのだろうか。いずれにしても腹立たしいこと限りない。しかしその日の夕方、隣家の奥さんが、お詫びにといってケーキを持参したので、単純ながら腹の虫も収まった。

 ところが、それから数ヶ月もたったある日曜日、隣家の庭で突然ケコッケコッというニワトリの叫びと、犬の鳴き声と、人間のキャーキャーいう声。スワッ何事と飛び出してみれば、なんと隣家の人たちが総出でニワトリを追い回しているではないか。数十分の喧噪のあと、急に静かになった隣家を恐る恐る覗いてみると、隣家の庭木の枝に何羽もの首を切られたニワトリが吊されていた。

 「いつぞやは、ご迷惑をおかけしました。」と言って、となりの奥さんがその夜、とれたての「鶏肉」を持ってきてくださったが、我が家では、どうしてもその肉を食べる気にはなれなかった。