69 三色フィルター

1999.6


 

 いっとき爆発的に普及して、あっという間に滅びてしまうものがある。歌手などの場合もそういうことは多いが、それでも思い出のメロディーなどにひょこっと顔を出して、懐かしがられたりする。しかし、モノの場合は、そういうこともなく、完全に忘れられる。

 そういうものの一つに、三色フィルターというものがある。実際の名前は何といったか記憶にないが、カラーテレビがまだ高価で、庶民にはまったく手が届かなかったころに忽然と現れ、そして瞬く間に消えていった。

 どういうものかというと、今で言えばちょうどパソコンのモニターの前につけるフィルターのようなものなのだが、それに三色の色がついているという代物である。赤と青と黄色だったか、あるいは赤、青、緑の光の三原色だったか、その辺の記憶もあいまいだが、とにかく上から順番に、三層の虹のように色分けされたフィルターだった。それを白黒テレビの前にかけるのである。

 それでどうなるのかと言うと、白黒テレビがカラーテレビに変身するのである。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、人間の視覚などというものは案外いい加減なもので、結構カラーテレビをみているような気分を味わうことができたような気がするのだ。

 何しろ、本物のカラーテレビだって、当時のお金で50万円以上もした割には色はひどいものだった。銀座のソニービルで初めてカラーテレビを目にしたのは、ぼくが大学生のころだから、1970年前後で、そのときモニターに映っていた魚の切り身の毒々しい赤さは今でも失望の念とともに忘れられない。こんな色のにじんだ画面なら、白黒の方がましだと思ったものだ。

 だから、白黒の画面が部分的にうっすらと赤味や青味を帯びた我が家のテレビの方が品がいいとさえ感じられたのだ。しかし、所詮まがいものはまがいものでしかなく、こんなものつけて擬似カラーテレビを見ている貧乏くささにも嫌気がさしたか、いつの間にかそのフィルターは姿を消した。そのかわりに、青だけのフィルターがしばらくはやったように思う。

 そして、あっという間に、色のにじまない、ほんとの意味で総天然色と言えるカラーテレビの時代がやってきた。最初は、心底その技術に感動しながらも、やがて、それが当たり前になり、今ではその豪華極まる総天然色の画面で、野村沙知代の傲慢な顔などを拝まされる始末。三色フィルターの時代のつつましさが懐かしく感じられる昨今である。