63 樹の名前

1999.5


 

 去年の夏、東北への修学旅行の引率で八幡平のあたりをバスで走っているとき、窓から見える樹々の姿の美しさにしみじみと感動した。見えていたのはブナが多かったようで、樹皮が白っぽくてそれだけでも十分美しかったのだが、それぞれの樹がそれぞれの独自の樹形を保ちながら、のびのびと空に向かって伸びている様子が、かつて見たこともない美しいものに感じられたのである。

 樹の形の美しさに惹かれると、どうしてもその樹の名前を知りたくなる。しかし、草花の名前を知ることは、さほど難しいことではないが、樹となるとなかなか難しいものだ。樹木の図鑑もあるが、そこに載っている樹形がそのまま見られるわけでないし、特に雑木林の中などは、いろいろな樹と共に生えているのだから、独立した形としては認識しにくい。

 葉の形から検索できる図鑑もあるようだが、大きな樹になると葉に手が届かないこともある。それに、葉の微妙な形の違いは、なかなかそう簡単には見分けられない。

 やはり、一番手っ取り早いのは、樹についている名札である。もちろん、山の樹に名札がみんなついているわけではないが、公園などの樹には名札がつけられていることがある。これをちゃんと見て、その樹の形などを頭にたたきこむのだ。一つ覚えると、知り合いが一人増えたようで、なかなか気持ちのいいものだ。

 先日、根岸森林公園で、4〜5本並んだ三角錐形の大きな樹が目に入った。針葉樹であることは明らかだが、葉は遠くから見ても若葉で、ちょっとエメラルドグリーンがかって見える。落葉樹だとすると、思いつくのは落葉松だが、どうも樹形がまるで違う。見たこともない樹だ。何だろうと思って近づいて見ると、名札がついていて「ヌマスギ」と書いてある。初めて聞く名前だ。

 翌日、学校の図書館で樹木図鑑を調べると、「北米原産の落葉樹」とあった。どおりで見たこともないはずだ。外国人の友人が一人増えたような気がしてちょっと嬉しかった。

 名前を知ると、もうそのものを見なくなるものだと言ったのは確か小林秀雄だったと思うが、それは頭で考えた理屈にすぎない。ほんとうに樹が好きだったら、やはり名前を知ろうとし、その素性をたずねるだろう。そして、山の中にその名前を知っている樹があったとき、友人にあったように挨拶するに違いない。

 古代日本では、相手の名前を聞くことは、そのまま求婚を意味していたのである。