6 幸せになるのが結婚か

1998.4


 ドラマなどで、女性が「結婚したい」というべきところを「幸せになりたい」と言うたびに腹がたつ。そんな言い換えに何の疑問も持たない神経が理解できないのである。こんなドラマを書く脚本家はおそらく結婚について真剣に考えたことのない人間か、ただの世間へのおもねりを事とする者だろう。

 恋愛は二人の男女の問題だが、結婚はその周りの幾多の人間関係を抱え込むことだということは、おそらく若い人には実感をもって捉えられない。恋愛の延長としてしか結婚を考えていないからだ。愛し合う二人が、永遠に死ぬまで共に激しく愛しあったままで暮らすのが結婚だというのはあまりにロマンチックな観念にすぎない。

 一方で「結婚は人生の墓場だ」というような古典的なニヒリズムがある。これは「幸せになる」よりタチが悪い。女遊びに明け暮れた男が、間違って結婚してしまったときの勝手な感慨以外の何物でもないからだ。墓場だと思って結婚するバカはいない。本質的に結婚が墓場であるのなら、結婚しなくても人生は墓場だろう。それなら、さっさと死ねばいいのである。こうしたニヒリズムは、つまらぬ気取りにすぎない。

 では、結婚とは何か。幸福になるために結婚するのではないことは確かだ。結婚して幸福になろうと努力することは正当なことだが、結婚が幸福の手段でありうるはずはない。それは人生というものが、幸福の手段ではありえないのと同じだ。幸福になろうと努力することは生きるうえでの最大の義務だが、幸福は権利ではない。

 おそらく、結婚は、避けがたい運命であって、それ以上でもそれ以下でもない。そして、おそらく結婚は苦労をとおして人生の味わいを深めてくれるものだ。披露宴では、だから「どうぞ、これから色々な信じられないような苦労の連続だと思いますが、そのために結婚するのですから頑張ってください」と言うのがいちばん正しい。もちろん、そんなスピーチは一度も聞いたことがないが。