53 クルミの実の真実

1999.2


 どんぐりは何の実かという話の続きみたいになるが、都会の人間というものは、結構非常識なもので、スーパーで、シャケの切り身しかみたことのない若い主婦が、シャケというのは、切り身の姿で泳いでいるものだと思っていたとか、その手の話はくさるほどある。

 これは都会人かどうかとは関係ないが、先日テレビで、世界地図を持ったレポーターが「トルコってどこにあるか知ってますか」という質問をしていたが、アフリカを指したり、南アメリカを指したりしている女子高生などがいた。ヤラセっぽいほど、非常識な人間は多い。番組作りも楽なもんである。

 それほどではなくても、都会人は、こと自然については知らないことが多いものだ。

 クルミというものがある。例の殻のえらくかたい奴で、「クルミ割り」という、それ専用の道具すら人間に作らせるほど、名の通った食べ物だ。古くは、小鳩くるみなんていう歌手もいた。(これは関係ない)

 そのクルミが、木にどういう姿で生っているかを、ぼくはあんまり考えたことはなかったのだが、何となく、どんぐりみたいにあのゴツゴツした実が枝からぶらさがっているのだというふうに思っていた。あるいは、せいぜい栗みたいに何か覆いみたいなのがあるのかも知れないな、ぐらいのところだった。

 ところが今から10年ほど前、東北地方への修学旅行の引率で、小岩井農場へ行ったときのことだ。農場のはずれの森の中を歩いている時、ある大きな木に「クルミ」という名札がついていた。ああ、これがクルミの木なんだと思って、上を見上げてびっくりした。クルミの木の枝にはたくさんの青いテニスボールのような丸い実がたくさんついていたのだ。

 目からウロコが落ちるというのは、こういうことなのだろう。そのとき、瞬間的に、クルミの実がなんであるかが分かった。ぼくらが食べているのは、ちょうど桃の実の中にある種の、さらにその中にある奴に当たるのだ。クルミには、ちゃんと果肉があったのだ。

 そんなことは、クルミを収穫して出荷している人ならば、生まれたときから知っているだろう。しかし、クルミというものを商品として買っているかぎり、そのもとの姿を見る機会は都会人にはめったにあるものではない。

 だとすれば、シャケの切り身が泳いでいると思っていた若い主婦をあながち笑ってばかりもいられないのである。