50 麻疹と金魚

1999.2


 幼稚園か小学校の低学年の頃だったと思う。真夏に麻疹にかかったことがある。

 中学、高校をぼくは無欠席で通したが、それ以前は結構学校を休んだようだ。扁桃腺肥大だったから、すぐに熱を出した。熱を出すと、決まって恐ろしい夢を見た。熱や痛みより、その夢の方が嫌だったくらいだ。だからもちろん、子供の頃の病気の記憶は、憂鬱な色にたいていは染まっている。

 ところが、この麻疹だけは、まったく違った印象をぼくに残した。

 何しろ、真夏である。それなのに、毛布をすっぽりかけて寝ていなくてはならない。暑くて暑くてたまらない。わがままなぼくは、グズグズ言って親たちを困らせていたのだろう。その時、表の通りを金魚屋が通った。今では、金魚屋が通ったと言っても、若い人には分かってもらえないだろうが、当時はいろいろな物売りが通ったものだ。竿竹売り、豆腐屋さん、鋳掛けやさん、箒売りなどなど。その中でも、金魚屋は魅力的だった。リヤカーに、金魚のいっぱい入った金魚鉢をたくさん積んで、夢のように町の中をゆっくり通っていく。浪曲師みたいな渋い声で「キンギョー、キンギョー」と呼ばわるオジサンも、かっこよかった。

 ぼくが熱でフーフー言っているのを可愛そうにおもったのか、親だったか、祖父母だったのか覚えてないが、とにかく金魚を買って、「ほら、涼しそうだろう?」と言って枕元に置いてくれた。ぼくは熱も忘れて金魚の美しさに見とれていたと書けば、美しい話だが、そうはならなかった。

 確かに、しばらく熱も忘れて見とれていたのかもしれない。しかし、どうしたことか、ぼくは体を起こしてその金魚の方に手を伸ばしたらしい。次の瞬間、金魚鉢がこちら向かって倒れかかり、ぼくの寝ている蒲団は水浸しになった。熱い体に、びしょびしょの蒲団。その水たまりの上でピチピチ跳ねる赤い金魚。親たちのぼくを叱る声。

 ザラザラするような皮膚の感覚と、ヌルヌルした金魚の皮膚の感覚が、熱に侵された体の中で融合したようなどこか懐かしいような感覚。オネショの後とは違うけれど、水浸しの蒲団の妙に生々しい感触など、今でも、鮮やかによみがえってくる。

 金魚のおかけで麻疹が早く治ったのか、ますます悪くなったのかは知らないが、思い出すたびに、クスリと笑ってしまう。