47 完璧ですね

1999.1


 変な男に会った。

 先日所用あって東京にでかけ、夜の9時ごろ王子から大船行きの京浜東北線に乗り込んだ。空いている車内に座ると、前の席に座っていた男と眼が合った。男は歳は40歳ぐらいのガッシリした体だったが、ぼくと眼が合うやいなや、いきなり「ご苦労様です!」と大きな声で言った。確かに疲れてはいるが、見知らぬ男に「ご苦労様です」と言われる筋はない。

 男は続けて、「これは、すぐに片づけますから」と言って、空き缶らしきものの入ったスーパーの袋を胸の前に掲げた。「私、大宮で飲んできて、今帰りなんですが、酔っぱらちゃって、すいません、降りるとき持っていきますから。」と謝る。黒い革のコートをきた目つきのちょっとするどいぼくを刑事かなにかと勘違いしたのかも知れない。ぼくは「いやいやどうも」などと、意味不明の言葉と、曖昧模糊とした微笑でごまかしてから、寝たふりをしようとしたが男は続けた。

「いやー、すばらしい手ですねえ。」

 男はぼくが革のコートの上の鞄の上で組んだ手をジッと見ている。感に耐えないと言う風情である。「あ、どうも。」と言って、またごまかし笑い。

「すばらしい手ですよ。こう、太くって、指なんかがっしりしていて。今時の若い連中の手を見てくださいよ。コンピューターばっかりいじってるから、あんなに……」と言って、同じ車両に座っている若い男たちの方を見渡す。だれも相手にしない。

 「完璧ですね。」

と男は言った。まだ手のことらしい。困ったものだ。ぼくはそのまま手を組んだまま、「そうですか。ありがとうございます。」とかつぶやいているしかない。

 ぼくの手は、確かに今時の若い人たちの手とは違い、節があって、おまけにひどく毛深くて、どちらかというと醜い手だ。手の甲の小指側の縁などは、馬のたてがみみたいに毛が靡いていると言ってもいい。指にもちゃんと毛が生えていて、第2関節にも10本ぐらいずつは生えている。気持ち悪がられたことはあっても、褒められたことは一度もない。

 電車が西日暮里につくと、男は律儀にその空き缶の入った袋をもって「じゃ、失礼します。」と言って降りていった。ホームで男はこちらを向いて拳をつくり、何度もガッツポーズをとっていた。ぼくは、ただ笑顔を返していたが、電車が西日暮里を離れたとき、ぼくは少し汗のにじんだ手をほどき、しばらくその毛深い手を眺めていた。