44 木綿のハンカチーフ

1998.12


 太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を聞く度に、ぼくは怒濤のような罵声を浴びせかける。この歌の歌詞が嫌いなのだ。

 知らない人もいるだろうから、歌詞の全文を引用したいくらいだが、とにかく、都会に出た青年がどんどん都会に染まっていくのを、田舎に残った恋人の女が非難するという歌詞だ。(そういう取り方がそもそもおかしいと家人などはいうのだが)田舎から都会に出たなら、見るもの聞くものみな目新しくて、夢中になるのが若者というものだろう。青年は、プレゼントを送る、すると女はそんなものはいらないという。なんという素直でない女であろう。お金のかかったダイヤの指輪より、あなたの澄んだ瞳の方がきらめいているからなんて、馬鹿じゃなかろうか。指輪は指輪でもらっておいて、あなたの瞳も味わえばいいじゃないか。

 そもそも、この女は、青年を愛しているなら、なぜ田舎に残るのか。田舎なんて捨てて、青年とともに都会に出て、都会の文明に泥まみれになって、青年とともに生きるべきではないのか。「あなたとならば、たとえ地獄を見ようとも……」というのが愛ではないか。それなのに、自分だけ、純粋な、汚れのないと「信じられている」田舎に残り、自分だけ、無垢な気持ちでいると錯覚し、そういう自分だけは絶対に守り通そうとする。「田舎=純粋」「都会=悪」の図式を毫も疑っていないのだ。そうして、疑いようもない「純粋無垢」なる自分の立場から、都会の悪に染まっていく青年を見下げて、捨てるのである。わがまま女め。

 そして、極めつけは、「涙ふく木綿のハンカチーフください」。この「木綿の」というところが、何としても許せない。「無農薬栽培の木綿で、有害な染料を一切使用しない木綿よ」みたいなことを言いいそうじゃないか。そんなものじゃなきゃ涙をふけないなら、涙なんか風に飛ばしておけ。

 と、まあ、こんなふうに罵倒は限りなく続くわけだ。この歌がかかると気が狂ったようになる自分がいつも不思議である。