42 元気のもと

1998.12


 高校生の頃は、毎日のように気分がコロコロ変わり、まったく情緒不安定で、それが嫌でたまらず、はやく大人になりたいと思ったものだ。ところがそれから30年近くたった今でも、事情はたいして変わらない。もう少し安定した精神生活をおくれるものと思っていたが、みごとにあてがはずれたわけだ。「五十にして天命を知る」などもってのほかで、「迷わず」ですらない。

 気質的には、ぼくはあきらかに躁鬱質で、人前ではだいたい躁状態のことが多く、「山本さんはいいねえ、なんの悩みもなくて…」などと言われるはめになる。宮沢賢治ではないが、学校の廊下を歩いているときも「いつもニコニコ笑っている」(ニヤニヤみたいだが)らしい。

 ところが、一人になると、これがどうもいけない。鬱々として楽しまないということが多いのだ。つまらないことで、すぐに気が滅入る。苛々する。こうなると、どんどん深みにはまって、どうかすると「もう生きていたくない」みたいな気分にまで至る。音楽を聞いてもだめ。まして本など読む気もしない。映画を見にいく元気もない。ビデオライブラリーからビデオ一本選ぶのもおっくうになる。

 そういう状態から、どうやって抜け出すか。人によっては、深夜のドライブとか、カラオケに行って歌いまくるとか、いろいろあるのだろうが、ぼくの場合は「片づけ」が案外効果がある。本棚の整理とか、部屋の掃除とかをしているうちに、熱中してきて、気分がはれることが多い。それでもだめなような重症のときは、思い切って部屋の模様替えをする。書斎の机の配置などを大変更してしまうのだ。いらないものを大々的に捨ててしまうのも気分がいい。

 「片づけ」よりもっと効果的なのは「買い物」である。「片づけ」は金がかからないが、「買い物」は金がかかるのが難点だが、大きな買い物ほどいい。新しいモノを手にいれることで、気分が大きく変わることは確かだ。金があっても、何にも買う気がしないときは、最悪の状態である。これは、日本経済にもあてはまるかもしれない。「整理して・捨てて・買う」これが元気のもとのようだ。