4 知的生活の敵?

1998.4


 「サラリーマンの知的生活の敵」として向井敏が3つをあげている。1つ目は、「仲間とのつき合い」、2つ目は「テレビ」、そして3つ目には「映画・演劇・音楽」なのだそうだ。前の2つにも、いろいろ言いたいことはあるが、まあいいとしよう。問題は、3つ目で、その理由が「これらはみな向こうから流れてくるもので、何の努力もいらないからダメ」なのだというようなものなのだ。

 今どき、こんなバカな俗説をサラリーマン諸氏が御説ごもっともと受け入れるとも思えないが、「知的生活」への漠然としたあこがれを抱く者の耳には案外入りやすいのかもしれない。

 映画をひとつとってみても、「黙って座っていれば何の努力もなく理解できる」ものであるわけではないことは、少しでも映画を見た者ならわかるはずではないか。おそらく、氏は、映画館などへはここ10年足など運んだことないなあ、などと言っているサラリーマンと同じような生活を送っているのであろう。それはそれでいっこうに構わない。映画を見る義務などだれにもありはしない。しかし、映画をそのようなものとしてしか認識していない事への反省どころか、簡単に「そんなものをいくら見ても知的生活にはならない」と断言する傲慢さには心底腹がたつ。

 そしてここに出てくる「知的生活」という意味のない言葉の、無反省な使用。何が「知的生活」なのかきちんと定義せよとどなりたくなる。しかし、「知的生活文庫」という文庫まで出ている世の中なのだから、無反省なのは向井氏だけではもちろんない。

 しかし、こういうエセ教養主義のジイサンが、鋭敏な感性と、時代への柔軟な適応能力を失った中高年サラリーマンに、本さえ読んでいれば、絶対本を読まない若者には勝っているんだという意味のない優越感を植え付けて、拍手喝采を浴びているのだとしたら情けないことだ。