37 車窓風景

1998.11


 

 大岡信の詩「地名論」に「おお 見知らぬ土地を限りなく/数えあげることは/どうして人をこのように/音楽の房でいっぱいにするのか」という一節がある。

 その土地に行ったことがあればなおさらのこと、行ったことがない場合でさえ(いや、ひょっとしたら行ったことがない方がなおさら?)土地の名前を数えあげていくことは、たしかに夢見るような快感がある。その土地の名の中に、あるいは向こうに広がる風景は、現実の風景をはるかに越えた輝かしい魅力を備えているように思える。だから大岡はつづけて次のように歌う。「煙が風に/形を与えるように/名前は土地に波動をあたえる/土地の名前はたぶん/光でできている」

 先日授業の中で、「文学史チャレンジ100」と称して、日本の古典文学から近代文学、そして海外文学にまで手を広げて、作品と作者を結びつけるという問題をやらせてみた。

 文学史の不得意な生徒には、見たことのない作品の名と人名の単なるリストにした見えなかったろうし、それを結びつける作業は意味のないこととして意識されもしたようだ。

 しかし、「たけくらべ」「五重塔」「明暗」「暗夜行路」「月に吠える」「邪宗門」「更級日記」「野ざらし紀行」「アンナ・カレーニナ」「桜の園」……と列挙されている作品の名を次々と読んでいくだけで、まるでこの世ならぬ楽園の中を豪華な列車の窓から眺めながら走り抜けているような錯覚にとらわれるのだ。

 「たけくらべ」の駅に降り立てば、そこには思春期の時間を切なくもみずみずしく生きる少年少女の息吹にふれることができる。「月に吠える」の駅に降りれば、病んだ神経の青白いふるえるような隠微な世界を覗くことができる。「アンナ・カレーニナ」の駅に……。

 駅に降りなくても、車窓の風景だけでも十分に楽しいように、作品の名を目でたどるだけでも、幸せなひとときだ。生徒たちは、固有名詞の200個並んだ紙を前に、四苦八苦していたが。