27 ビデオで映画を見たときは

1998.9


 ビデオで見ても、映画を見たことになるのかという問題がある。

 結論は、はっきりとしている。ビデオと映画は、まったく別物であり、ビデオで見たからといって映画を見たことにはならない。ビデオは、映画をビデオで撮ったものだぐらいに思わなければいけない。象の置物を何十回眺めても、ほんとの象の姿は実感できないのと同じことだ。

 映画を見るということは、スクリーンで、フィルムから映写された映像を見るということだ。そこは、どうしてもはっきりとしておかなくてはならない。

 しかし、だからと言って、ビデオで映画を見るのは邪道だとか、ビデオは絶対に見ないと言っているわけではない。善悪の問題ではないのだ。世の中には、価値の違いに過ぎない問題を善悪の問題にすり替え、自分を絶対的な善の立場に置いて、悪の立場にいると判断した人間を非難・攻撃してやまない人がいる。そんな人はビデオで映画を見たといっても、そんな奴は映画好きとは言わせない、絶対、映画館で見ろと言うだろう。そう言いたい気持ちはぼくにもわかるが、しかし、人は人である。それぞれの事情もあるだろう。

 ただ問題は、こうした認識自体を持たない人が結構いるのではないかということである。ビデオと映画とは違うのだということに気づかずに、映画館は高いから、ビデオで見ればいいやと思っている人。ビデオの方が何回も見られるから結局得だと思っている人。そういう人が多すぎるのはやはり問題である。

 スクリーンの大きさは、本質的な問題で、その大きさがあるから細部が見えるのだし、その大きさでこそ味わえる空間がある。そしてフィルム上映の映像の質感も、ブラウン管のそれとはまるで違うのだ。その魅力を知った上でなくては、映画はむろん語れない。

 ビデオで映画を見たときは、そこはかとない後ろめたさを感じていればいい。映画館で見たのとどこが違うと居直りさえしなければいい。いつかその映画を映画館で見ようという夢だけでも持っていたいものだ。