22 褒める女

1998.8


 テレビのトーク番組で、石田純一が「女性雑誌が好きです。(マリクレールとかの)普通の週刊紙って、人の悪口ばかりじゃないですか。そこへ行くと、女性誌は、褒めることがメインになってるから、気持ちがいいですよね。」と言っていた。サンマに、「石田さんは、週刊紙で苦労しているからねえ。」と冷やかされてはいたが、そういう見方もあるかとちょっと面白く思った。

 石田純一がどうこうということではなく、「女性誌は褒めることがメインになっている」ということに「ヘェー、そういえば、そうだなあ」と妙に納得したということなのだ。

 たしかに、女性誌によくある、「ヨコハマのお洒落なブティック」とか「古都カマクラを歩く」などといった特集のどこを探したって、悪口はない。どんなつまらぬ店だって、うまい角度から撮った写真と、暖かい文章によって、たちまち「一度は行ってみたいお店」に大変身。その特集が身近な所だったりすると、妙にこそばゆい思いをする。映画評にしても、とことんこきおろしたりしない。みんな素敵な映画にしてしまう。まあ、それが商売だということだろうが。

 女性というものは、そもそも悪口が好きなのか、嫌いなのか。女性というものは、というような一般論で語るのは好きではないが、ついそんなことを思ってしまう。ぼくの祖母などは、悪口が大得意で、まさに死ぬまで悪態をつきどおしだったが、家内の母などは、いまだその口から人の悪口が出てきたのを聞いたことがない。家内もそのせいか、基本的には悪口は嫌いだ。ぼくがテレビに向かって悪態つくのをいつも嫌がっている。

 結局、悪口が好きな女性もいれば嫌いな女性もいるということにしかならないのだろうが、しかし、こと、人を褒めることに関しては、やはり女性が上だろう。熱狂的なファン、オッカケは、断然女性に多いような気がする。ぼくの身近にも、そういう女性がいるので、身にしみてわかるのだが、その心酔ぶりは恐ろしいくらいのものだ。うっかりその悪口でも言おうものなら、殺されかねない迫力をもっている。

 生半可の批評などを絶対にしない熱烈な支持によって、多くの芸術家は生きてこられたのだろう。だとすれば、女性の果たしてきた役割はまことに大きい。