21 食えない自慢

1998.7


 子供のころは、結構食べ物の好き嫌いがあった。フロフキ大根なんてものを、親たちは嬉しがって食っていたが、一口食べても吐きそうになるほどまずかった。インゲン豆もきらいだったし、ゴボウもニンジンもうまいと思ったことはない。赤飯も、小豆が嫌いで、豆を一粒一粒よけて食べたものだ。

 それなのに、今では不思議なほど、食べ物の好き嫌いがない。もちろん、あまり好きではないというものはあるが、これだけは絶対にダメというものがない。かなり嫌いだったピーマンも、友人が「生のピーマンを細く切って、オカカとしょう油をかけて食うとうまいぞ。」というので、試しにそうして食べてみたら、非常にうまくて、あっという間にピーマン大好きになってしまった。

 しかしこれは、考えてみると、あんまり面白味のあることではない。好き嫌いが激しいということは、「個性的」であるかのように見えるという利点があるのである。

 「ブタは絶対食べられない」ということを、誇りのようにして、何年でも飽きずにそれを話題にしている知人がいる。「ブタ」と言う言葉が出れば、もうしめたもの。「ぼくはねえ、絶対だめなの。」と始まって「でもね、なぜだか酢豚だけは食えるんだ。」まで、まあ20分くらいは話題の中心。「絶対食えない」と言われると、「何故なの?」と聞きたくなるのが人情というものだ。その上、「なぜ、酢豚は平気なのか」も大いに興味をそそる。だから「話題」になる。そして「へえー、○○さんは、ブタだめなんだー。」ということで、そこに「○○さん」の個性が輝かしく確立してしまうようで、何だか悔しい。

 だからといって、そこへしゃしゃり出て「ぼくは、ブタ食えるよ」と言っても、はじまらない。それに対抗するには、最低でも「ぼくはさあ、ブタは平気なんだけど、トリ、あれ絶対だめなの。あの、鳥肌みるともうだめなんだなあ。身震いしちゃう。」というような言い古されたフレーズでも使うしかないが、嘘も空しい。で、「おまえ、いいかげんに、ブタぐらい食えるようになれよ。食えないことが自慢になるか!」と、悪態つくのが精一杯。

 勝負は最初からついている。