2 犬の楽しみ

1998.3


 犬を飼い始めたときに、犬好きの叔父から「犬っていうのは、食うことと散歩することしか楽しみがないんだからな。ちゃんと、食わせて、散歩させてやれよ。」と言われた。

 そうだったのかと、その時、妙に納得するものがあった。鎖につながれた犬のなんだか悲しそうな目を見ると、いったいこいつは何が楽しくて生きているのかなあと不思議だったのだが、ただ「食う」「散歩する」ことを待っているだけだったのだ。

 その単純な、しかし、確実な楽しみがあればこそ、犬はああやって鎖につながれていても、自殺もせずに生きているわけである。だから、散歩につれていかない飼い主は、犬にとっては最悪の飼い主だろう。

 散歩に出かけるときの、あの犬の生き生きとした態度。尻尾をピンとたて、弾むように走っていく。その一瞬に彼らは人生を賭けているわけだ。つくづくうらやましいと思う。

 釣りに行く前の晩は、眠れないとか、ゴルフに行くとなれば、どんな早朝でもパッチリ目が覚めるとかいう話を聞く。この犬のような単純さは素晴らしい。ぼくにもそれに似たようなことがないとは言えない。しかし、どうしてもぼくなんかの場合、飽きがくる。体がだるいとか、なんだか今日はやる気がしないとかいうところから、しまいにはどうでもよくなってしまうことにもなる。

 ところが、犬は違う。絶対に飽きないのだ。うちの犬は14歳になり、心臓の弁に異常があり、獣医によると「人間で言えば面会謝絶」状態であるにもかかわらず、「食う」ことと「散歩する」ことに対する意欲は、まったく衰えない。散歩から帰ってきて、玄関でバッタリ倒れたり、ひどいときは散歩の途中で倒れたりするのだが、「おれもシンドイから、もうやめとくよ。」とは言わないのだ。

 まことにあっぱれという他はない。死ぬまで、「食う」「散歩する」に徹する犬にはただただ敬服するばかりである。