17 貧乏教師

1998.7


 教師になりたてのころ、毎日のように飲みに連れて行かれる酒場が、いつも決まって安い居酒屋のような所なのが嫌でたまらなかった。まあ、今で言えば、養老の滝とか村さ来とかいった所で、そこで飲みながら、生徒のことや教育のことで熱く議論するのがこれまた嫌だった。安酒のんでまで、熱心に教育を論じて何が悪いかと言われそうだが、嫌なものは嫌だった。

 同僚や先輩の教師の、貧乏たらしい服装も嫌だった。お洒落とは縁のない貧しい学生生活を送ったぼくにも、色の違うスーツの上下を平気で着てしまうような神経は嫌だった。そしてお決まりの肩から下げたビニール鞄。組合の動員で、集会場に行くと、私は貧しい教師ですというプラカードでももっているのではないかと思われるくらい同じようなくすんだ格好をした教師たちの群れに辟易とした。本当を言えば、格好なんてどうだってよかったのだ。だが、その無個性な、見栄えのしない格好が、そのまま教師たちの心の貧しさを象徴しているように思え、それが耐えられなかったのだ。

 だから、そのころのぼくは、飲みに行っても、大抵はふてくさっていて話に加わろうとせず、先輩の教師たちから、生意気だとか、何を考えているのか分からないとか言われたものだ。そういうことを言われると、かえって嬉しいくらいなもので、そうかオレはまだあの連中に同化してないんだなと、安心もしたものだ。

 いわゆる教育熱心な教師というものにも、教師になりたての頃から、反発していた。それを一言で言えば「偉そうにしてる」ことへの反発だった。文句なく「偉い」のならいい。そうではなくて、ただ教師であるということで、自分が少なくとも「生徒より偉い」と確信してしまっている教師が大嫌いだった。そして、何かというと生徒にお説教をし、どなりつけ、意気揚々としている教師を本能的に憎んだ。だから、生徒とはあまり喧嘩はしなかったが、教師とは喧嘩ばかりしていた。

 あれから30年近くの歳月が流れたが、そうした気持ちにたいした変化はない。もうそろそろベテラン教師としての風格も出て、生徒からも尊敬されないまでも、一目置かれるような教師になっていてもおかしくない年齢だが、一向にその気配すらない。

 ただぼくは「教師」という職業を憎みながらも、その職業意識からはみ出した部分に、魅力を感じている。人間関係はめんどくさくて嫌いだが、それでも、若い生徒たちの時としてまぶしいくらいの輝きと、胸うたれる純情さはやはり他の職業では出会えないものだろう。貧乏教師も、すてたものではないと、まとめるしかなさそうだ。