13 阿部定とパフィー

1998.6


 またパフィーかとうんざりするかも知れないが、別にパフィーの大ファンというわけではない。しかし、最近ちょっと面白い発見があった。

 丸谷才一の「男もの女もの」(文芸春秋社刊)に載っていた「阿部定問題」というエッセイ。この何とか問題という観点も面白かったのだが、それよりも興味深かったのは、どうして自分は阿部定が好きなんだろうと考察している所である。何でも、丸谷は様々なところで阿部定に言及し、「日本史を作った101人」にも阿部定を入れろと主張したくらいの阿部定ファンらしい。

 その丸谷がビアンカ・タムの自伝を読んで、阿部定との共通点に気づく。

彼女にとっては、誕生と交合と死による自然的世界だけが重要で、戦争とか革命とか政権の交替とか王朝の興亡とか、そんなことは眼中にないんですね。つまり歴史的世界はどうでもいい。言ふまでもなく、これこそは女のものの見方、女の生き方でありまして、お定さんの世界観もこれであった。(中略)二・二六事件も満州国も知ったことじゃない。あつぱれとしか言ひやうのない世界に彼女は生きていた。

 「女のものの見方、生き方」をこんなふうに断定的に規定してしまっていいものかと思うが、しかし、ぼくが「パフィーが好き」で書いたことも、これに共通しているところがある。つまり、彼女らがたわいもな話に興じているとき、世の中の出来事がどうでもいいことになってしまうといったようなことをぼくは言ったのだが、してみると、パフィーと阿部定は、一見対極的な存在のようでありながら、歴史的世界に対置する自然的世界を提示しているという点で似たもの同士といえるだろう。

 ただ、ぼくは阿部定にはあんまり興味がない。いくら自然的世界だとはいっても、一週間も食事もせず、風呂にも入らず、ただ色事にふけっていたというのは、どうしても共感できないからだ。もちろん、お定さんの相手の吉蔵さんにはもっと共感できない。