11 ボロは着てても

1998.5


 「日本を村八分にしろ」というようなことをアメリカの知日派の人間が発言したといったような記事を新聞で見た。一つの経済政策としての提案だそうだが、それはそれとして、「村八分」という言葉が、小さな棘のように心に突き刺さった。

 ぼくは別にナショナリストではない。国語の教師であるけれど、国語の大切さを訴えることが使命だなどと意気込んでいるわけでもない。ただ、こうした言葉を聞くと、「なんだ、コノヤロウ」的な反応が心の中のどこかで小さく起こるのを感じるのだ。ナショナリズムの名残り、あるいは芽生えなのだろうか。

 景気も悪く、世界のあちこちで日本へのバッシングが行われ、何となく元気を失っているような今の日本を見ると、やはり胸が痛む。しかし、金満ニッポンなどといわれ、海外で金ばらまいて映画会社を買収したり、途方もない金額で名画を落札したりという時代が終わったのはむしろ喜ばしいことだとも思う。

 おまえなんか村八分だ、と言われても、オチブレタと言われても、では、オレたちにはコレがある、と言えるものがあればいいではないか。アメリカでもヨーロッパでも、逆立ちしても真似できない日本独自のもの、それがあればいい。そして、それが例えば芭蕉や蕪村の俳句であり、源氏物語であってなんら差し支えない。もちろん、それがイッセイ・ミヤケでも、ホンダでも、ソニーでもいいのだが、やはり、真に日本固有のものとなれば、まずは言葉だろう。

 実際、「五月雨や大河を前に家二軒」の句を、あるいは「秋深し隣は何をする人ぞ」の句をぼくらが持っているということのありがたさは、おそらくもっと世の中が不況になって、日本が本当に経済的に自信を失ったとき、しみじみ実感されるのではなかろうか。

 「ボロは着てても、心は錦…」とは水前寺清子の歌だが、そしてその歌をぼくは決して好きではないが、しかし、「心の錦」を日本文化の比喩と考えれば、案外いい歌なのかもしれない。