野球雑感


 小学生の頃は南海ファンだった。まだ杉浦が投げていた頃である。しかしそれ程熱狂的だったわけではない。

 中学に入ってから大学を卒業するまで、プロ野球には全く無関心で過ごした。ナイター中継など一度も見たことはない。

 大学を出て、就職してから、ポツポツとナイター中継など見るようになったが、ひいきのチームは特になかった。南海に杉浦はもういないし、まあ何となく巨人でも応援しようかということになって何年かたった。

 そんな時、大洋が横浜へやって来たのだ。その話を聞いた時、まず最初に考えたのは、どんなユニフォームを着るのかというととだった。だいたいぼくは「見た目」に弱い方で、南海が好きだったというの、杉浦もさることながら、そのユニフォームの「筋」が緑色だということが最大の理由だったのだ。で、もし大洋が横浜へ来るということになったら、少なくとも、あのみっともない色のユニフォームと、腕の所の「まるは」のマークだけはよしてもらいたいものだとそう思ったのだ。「まるは」のマークをみると、どうしても漁業組合の青年団チームといった印象になってしまうし、あのオレンヂのユニフォームをみていると、サケの切身がグランドにおどっているような錯覚におそわれてしまう。

 あれでは、ミナトヨコハマにふさわしくない、と思ったのは、結局ぼくだけではなかったことは後日判明したわけだが、それ以上に驚きだったのは、ホームグランド用のユニフォームの胸に、YOKOHAMAのローマ字をみとめた時だった。まるはのマークのかわりに、小さくヨコハマのローマ字が入るのかな、という期待もあったのだが、その期待はかように何倍にもなってかえられたのだ。

 それでも、しばらくは大洋になじめず、巨人大洋戦などをみていると、五分五分の気持ちの時が多かった。巨人の選手の華やかさにくらべて、大洋の選手はいかにも地味で、応援していても、今ひとつ力が入らなかった。

 大洋が五十四年度を二位の成績で終え、五十五年の閉幕試合を横浜スタジアムで巨人を迎えて行なうことになった時、ぼくはその日を待ちわびた。そして当日、テレビ観戦ではあったが、ぼくの胸は高なり、気がついてみると巨人を応援するほんのわずかな気持ちもぼくの体の中に残つてはいなかった。

 春の光を浴びて、平松の胸に輝くYOKOHAMAの文字をみていると、涙さえにじんできそうだった。

 ぼくは、自分に郷土愛などあるはずはないと長い間思ってきた。ヨコハマに生まれ、育ちながら、中学高校は横須賀・鎌倉に通い、大学以降はずっと東京通い、それにハマで生まれたとはいうものの、両親はハマの生まれではないのだから、純粋にハマッ子であるというのでもない。ヨコハマは好きだが、それ以上のものではなかった。

 それなのにこの胸しめつける思いは何なのだろう。ぼくの心と体は、その全てをもって横浜大洋ホエールズを応援しているではないか! 巨人の選手一人一人が、みんな千代の山とか鏡里のように憎らしくみえてくるではないか!(ぼくは先代の若の花の熱狂的ファンでした)

 かくして、ぼくの大洋狂いがはじまった。開幕当初の破竹の如き連勝に胸おどせ、いつ果てるともない連敗に地獄の日々を送った。横浜の街に、はんらんする紺地に白くWを輝やかせた帽子をかぶった子供たちに優しい微笑みを投げ、YGとかHTのイニシャルの帽子をかぶったひねくれ子供を蛇蝎の如く嫌い、唾した。

 しかし、今年の大洋の何という低迷ぶり。同じく街の名を負う広島の何という強さ。広島と横浜の二都市決戦を夢みるのだが、実現はいつの日だろうか。

 大洋のそうした低迷ぶりを尻目に、今年の夏の高校野球で横浜高校が優賞した。二十三日の新横浜駅は熱狂的なファンが押しかけ、気を失なう女子高校生も出るほどの大騒ぎだったそうだ。
人は口を開けば高校野球の純粋さと一所懸命さをほめ讃える。それをぼくも否定はしない。しかし、だからといってプロ野球がくだらない、ということにはならない。

 高校野球は、言ってみれば詩だ。それにくらべてプロ野球は、小説なのだ。しかし、プロ野球はダレた試合もある、そのことは事実だ。しかしそれは、高校野球が一回きりのものであるのに対し、プロ野球が長期戦だからであるからに過ぎない。負けても勝ってもこれっきりだからこそ、感情の昂揚もあり、従って涙も出る。プロ野球の選手が試合ごとに泣いていては身がもつまい。だから、プロ野球が純粋じゃないとか、一所懸命じゃないとか、決してそう簡単に非難できるものではないのだ。おまえの人生は純粋じゃないとか、おまえの生活は毎日一所懸命じゃない、などとは決していえないように。

 高校野球の一番つまらない所は負けが美化されてしまうことだ。甲子園に於ては負けは一度きりだ。一度負けたら、今度はがんばって勝つぞ、という場面がない。だから、負けた選手たちもよくやったと暖かく送り出してやるしかないことになる。泣いて、おわりだ。

 来年がんばれ、ということがあるじゃないか、というかもしれぬが、来年たとえ来たとしても、選手は大部分入れかわってしまっている。一人の選手の成長をずっと継続的にみていくということはできない。

 よく、相撲は、パッと一瞬で勝負がつくから、日本人好みなのだなどという人がいるが、それはちがうだろう。試合そのものの長さなど問題ではないファンは、貴ノ花その人をずっとみつづけているのだ。いつ果てるとも知れない勝負。だから、そこに人生がある。プロ野球もそれと同じだ。

 だが高校野球は……。

 愛甲投手に対する女子学生の気狂いじみた歓声より、二〇〇〇本安打の柴田選手への静かな拍手に共感をおぼえるのだが。

 そんなことを言うようになったというのも年をとった、ということか。いずれにせよ、横浜高校にまけないように、わが大洋ホエールズも、せめてAクラス入りだけでも果たしてもらいたいものだ。



今でもいちおうベイスターズファンではあるが、「熱狂」は、あの「優勝」で終わったような気がする。それにしても、35年も経って読むと、固有名詞がいちいち懐かしい。(2015)