48 「ご年配の方々」

2015.8.10

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 大学時代のクラス会を今年はやるけど、8月8日土曜日でどう? って友人のKに聞かれて、いちおう幹事役の一人であるぼくは、ああ、大丈夫だよと気軽に答えたのが、4月ごろの話で、そのまま開催は8月8日と決まった。ずいぶんと先の話だと思っていたのに、あっという間に時は過ぎ、7月に入った頃だったろうか、カレンダーに予定を書き込んでいるときに、ふとその8月8日は、所属している現日会の懇親会が上野精養軒である日であることに気づいた。けれども、懇親会のほうはもう会費を振り込んでしまっているし、クラス会の方も今更日程変更などできるわけがない。これは参ったと思ってそれぞれの予定をよく見ると、クラス会の方は、8月8日(土)午後3時〜5時、上野パークサイドホテル、懇親会はの方は、8月8日(土)午後6時〜8時、上野精養軒となっている。上野パークサイドホテルと上野精養軒なら歩いて10分もかからない。何だ、両方出席できるじゃないかとホッとした。これが時間まで一緒だとシャレにならない。

 こういうことがずっと前にもあった。もう30年以上も前のことだが、妹が結婚式の日取りについてぼくの都合を聞いてきたことがあった。これもずいぶん先の話だったので、ああ大丈夫だよと安直に返事をしてしまったのだ。ところが結婚式を1、2ヶ月後に控えたころに「驚愕の事実」が発覚した。なんとその結婚式当日は、当時勤務していた青山高校の修学旅行の引率で京都にいる日だったのだ。これは今回のクラス会と懇親会の比ではない。どちらもキャンセルできない重大行事である。たった一人の妹の結婚式に兄が出ないなんて、それこそ死ぬまで恨まれるに違いない。かといって担任をしているクラスの修学旅行に妹の結婚式があるから行かないなんてことは許されるものではない。これはほんとうに窮地に追い込まれた。結局、最優先は結婚式だろうということになり、校長や同行の担任の先生方にお願いして、結婚式の当日は、京都から東京へ行き、式後はトンボ帰りで京都に戻るということで、いちおう事なきを得たのだった。

 しかし、結婚式の日取りについて聞かれたときに、なぜ学校行事の予定表を見なかったのか。修学旅行の日程はそれこそ大書してそこに書かれていたわけで、まったく、なんというか、そういう間抜けさは、もう生まれつきというしかないのである。

 で、この前の土曜日となった。クラス会の前に、もう一度都美術館へ行ってゆっくり見てこようというつもりだったが、あまりに暑いので、そちらは断念して、直接クラス会場の上野パークサイドホテルに向かった。不忍池には大賀蓮がきれいに咲いている。初めて見た。いつから不忍池に大賀蓮が植えられたのだろう。

 クラス会は盛況だった。ぼくらは東京教育大学文学部文学科国語学国文学専攻、昭和43年度入学というクラスで、当初は36人いたのだが、途中で2人退学し、最終的に卒業したのは34人。(ということも今回初めて知った。)すでに2人が亡くなっているので、今は32人が在籍(?)である。そのうち30人の住所が判明している。これは幹事のKが執念で調べ上げたものだった。今回はそのうち21人の出席だった(二次会で更に1人来たから、合計22人)。すごい出席率である。

 希代の大学紛争のただ中を過ごしたぼくらのクラスが、どんな状況で大学時代を送ったのかは、ここで詳しく書いている余裕はないが、とにかく時代に翻弄される日々で、卒業以来二度と会うこともないだろうと思っていた。けれども、卒業して20年ほど経ったころだろうか、Kがとにかく生きているうちに会いたいと言いだし、最初のクラス会が実現した。その時はほんとうに夢かと思った。それから数えて今回は3回目。65歳から68歳(?)ぐらいまでの、高齢者が昔を懐かしんだわけである。

 一次会は5時半に終わり、二次会は5時半から7時半までということだったが、ぼくは三次会があるならそっちへは出るからと言い残して現日会の懇親会へむかった。こちらはこちらでまた大盛会。何しろ現日会創立55周年という記念すべき年なので、そうそうたる来賓もたくさん来られていたし、日頃お世話になっている先生にご挨拶もできたし、やっぱりこっちもキャンセルしないでほんとによかった。

 なんて思っているうちに、携帯に電話が入り、三次会の店が決まったとのこと。懇親会も終わりに近づいていたが、途中で失礼してその店に向かった。上野のビルの中の居酒屋である。店に入ったはいいが、みんな個室になっているので、どこにいるのだか分からない。受付で幹事のKの名前を言ったが、「さあ、お名前はうかがっておりませんので。」という。それはそうだ。予約していたわけではない。かといって個室を片っ端から覗いてあるくわけにもいかない。どうしたものかと困惑していると、奥の方から来た店のオネエサンが「ご年配の方の集まりはあちらでございます。」と指をさす。ああ、そうですかと、その部屋を覗くと、ちゃんと「ご年配の方々」が6人いた。

 しかし、あのオネエサンはえらかった。考えてみれば、これ以上的確かつ礼儀にかなった言い方はない。「お年寄り」「高齢者」「オジイサン、オバアサン」全部ダメだろう。ちゃんとこういう時はこう言いなさいと教育されているのだろうか。見上げたものである。

 三次会は10時まで続いた。さすが三次会だけあって、「ご年配の方々」は、へべれけで、何を言っているのやら、さっぱり分からなかった。まあ、「ご年配」になったら、二次会ぐらいでお開きというのがよろしいようで。

 ぼくは、しかし、快い余韻に浸りながら、上野駅から「上野東京ライン」のグリーン車に乗って、流れ去る都会の夜景を眺めてながらいつのまにか眠っていた。


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