9 頑迷固陋なる老人

2014.11.24


 つい最近、30代前半の教え子3人と飲む機会があった。そのとき、そのうちの1人が、こんな質問をした。「最近、幼稚園の子どもの声がうるさいとか文句を言うジイサンとかいるでしょ。ああいう話聞くと、どうも老人っていったいどういう気持ちなんだろうって分からなくなるんですよ。先生も団塊ですよね。そうすると、これから団塊の人たちが老人になっていくと、世の中どうなるんですかねえ。」

 「どうなるもこうなるも、ないだろ。今まで通りだと思うけど。」

 「でも、ああいう話聞くと、老人に対するイメージが崩れてしまうっていうか。なんか、どうなんだろうってね。」

 他の2人も同意するかのようにフンフンと頷いている。あっと思った。

 「ひょっとして、君たちは、老人というものは、縁側かなんかに座って孫を可愛がったり、いつもニコニコ笑っているもんだって思ってないか?」

 「そうですよ。なんかあったかいというか。」 

 「そうそう、オバアチャンの知恵とか。」

 これにも、みんな同意している。ぼくはびっくりして、

 「そんなのは幻想だよ。そんな老人なんていやしないんだ。オレは、そんな老人のイメージを持ったことなんて一度もないぞ。」

 そう断言してみた。すると、3人は、え? っていう顔をしたあと、そのうちの1人が言った。

 「あ、そうか。ぼくらの老人に対するイメージって、『日本昔話』かなんかで植え付けられたものなのかもしれませんね。」

 そうなんだあ、とぼくもこれには深く納得するものがあった。彼らはみな「核家族」(この言葉すらもうほとんど死語化している)で育ち、老人と一緒に暮らしたことがない。だから、老人というものはどういうものかについての体験からくる実感がない。そうなると、老人のイメージはたとえば「日本昔話」の語り手のような、あるいは登場人物のような、優しい、何でも知っている老人ということになる。

 団塊の世代の全部がそうかどうかは知らないが、少なくともぼくは、両親と同居していたのに、祖母に育てられたものだから、老人(といっても、ぼくを育てていた頃の祖母は50代だったわけだが)が、おとぎ話に出てくるような「癒やし系」だなんて一度も思ったことはない。

 そればかりか、祖母はいつも若い母に文句を言い、若い母を泣かせる、イジワルなバアサンとして意識されていたように思う。祖父は職人気質で無口な人だったから、どちらかというと「やさしいジイサン」のイメージに近いが、だからといって、「好々爺」という感じでもなかった。

 そんな環境の中では、老人というものは、頑固で文句ばっかり言っているどうしようもない人間だという認識に至るのが普通だろうし、団塊の多くの者も、よほどのお坊ちゃん、お嬢ちゃんでない限り、それが平均的な認識ではなかろうか。それともぼくが極めて特殊な例外なのだろうか。ほんとのところはよく分からない。

 昨日、天気がいいので、久しぶりに鎌倉に行った。日曜日とあって、小町通りなどは混雑の極みに違いないので、比較的空いているだろうと思って佐助稲荷の方へ行ったが、それでも結構な人出だった。その道の電柱だったかに「観光客の皆さまへ。ここは住宅地です。静かに歩いてください。」というような張り紙がしてあった。こんな張り紙をするのも絶対に老人である。若い人は、そんなに家にいないし、こんな高級住宅地に住む若い人も少ないはずだ。

 昔はどこぞの会社の重役なんかをやっていて引退した頑固ジジイが、「うるせえヤツラだなあ。少しは人の迷惑も考えろよ。」なんて日の当たるリビングかなんかでブツクサ言っている様子が目に浮かぶ。だから、近くの幼稚園で子どもたちが、キャーキャー、ワーワー騒いでいようものなら、そういう類の老人が幼稚園に怒鳴り込むなんてことがあってもちっともおかしくないのである。

 団塊の世代が、すでに「老人」なのかという問題もあるにはある。「老人」かどうかは、心の持ち方次第だという意見もある。しかし、つい最近ぼくも65歳となったのだが、誕生日の直前に「介護保険証」が届いた。これはちょっとショックだったが、「高齢者」として公式に認定された(余計なお世話だと思わないこともないが、「介護」の現実もあるから、「こんなものいらん」と突っ返せない)ことは確かだ。ただでさえ頑迷固陋を特徴とする老人なのに、悪名高い団塊の世代がこれでこぞって全員「高齢者」となった(正確には、来年の3月で)わけだから、「これから世の中どうなるのだろう。」と30代の若者が不安になるのももっともなことではある。しかし、まずは、「老人に対する幻想」を捨てて、老人の本質をとくと考えれば、それほど気にすることはないのかもしれない。「今まで通りだ。」とぼくが言ったゆえんである。

 しかしそれでも、昔の老人に比べれば、団塊の老人の方がまだマシだとぼくは思いたいのだが、やっぱり無理そうな気もするし、それならせめて、自分だけでも、少しはマシな老人になりたいと思う昨今である。と、まとめるあたり、どうもこの問題に関しては歯切れが悪いのがナサケナイ。

 


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