4 「つながる」っていいね

2014.10.18


 このところ、何かと池袋へ行く機会が多い。8月の終わりごろには、大学時代の友人2人と久しぶりに池袋で会って飲んだ。大学時代の友人で今でも親しくつきあっているのは、この2人だけだ。何しろ、前代未聞の大学闘争で、35人しかいない国文科のクラスメートは、いろいろなセクトへ分散してしまってバラバラ状態。気がついたら、ぼくら3人だけが取り残された。3人では麻雀もできないし、みんな貧乏だったから、ほとんど酒も飲みにいかない。あちこちの「純喫茶」で、コーヒー一杯で2、3時間もねばって、源氏物語の読書会なんかを細々と続けていた。大学は、池袋に近かったので、新入生の歓迎コンパは、駅の近くの安い居酒屋でやったが、あのころの池袋は、ほんとになんか雑然として品がなかった。

 ここ1週間ほどは、書の師匠の属するグループが池袋の東京芸術劇場で書展を開いているので、2回行った。ここ数ヶ月で、3回も池袋に行ったことになる。出かけることの少ないぼくにしてみれば、ものすごい頻度である。

 その池袋まで、横浜から1本の電車で行ける。東急東横線と、地下鉄副都心線がつながったからだ。8月の友人との飲み会で、初めてその路線に乗って、ちょっと感動した。急行だと、渋谷の次が新宿三丁目で、その次がもう池袋だ。すごい。池袋で降りずにそのまま乗っていると、埼玉県の方まで行ってしまう。逆にいえば、埼玉県の和光あたりから乗ると、そのまま「元町中華街」まで来てしまう。すごい時代になったものである。

 そういえば、北陸新幹線も来年にいよいよ開業して、東京から金沢まで2時間半ほどで行けることになるらしい。これはやっぱり感動的だ。というのも、金沢へ行く途中の糸魚川は、ぼくの母の郷里で、ぼくは小学生のころから何度となく行っているのだが、これがえらく時間がかかって大変だったからだ。

 中学生の頃に一人で出かけたときは、上野駅から「急行白山」に乗った。たしか9時ごろに乗って、糸魚川には4時過ぎに着いたのだと思う。軽井沢から長野へ下っていく辺りは、蒸気機関車が引っぱっていた。列車の窓から、OLYMPUS PENで蒸気機関車を撮った写真が確かあったのだが、どこかへ行ってしまって見つからない。

 曾祖母だったかの葬儀の時は、夜行の寝台列車で行った覚えがある。上越線回りの、「黒部」だったか、「北陸」だったか忘れたが、清水トンネルを抜けると、一面の雪が暗闇の中にぼんやり見えたのが印象的だった。寝台者は、もちろん三段ベッドで、寝られたものではなかったが、窓から見る暗闇はなかなかよかった。

 糸魚川へは、新宿から中央線、大糸線経由でも行くことができて、これもずいぶんと使ったが、やがて、上越新幹線ができて、ほくほく線経由で行くことができるようになった。叔父の葬儀のとき、この路線で出かけて、ほんの数時間差で、中越地震の直撃を免れたことは以前にも書いたとおりだ。

 いずれにしても、時間がかかった分だけ、思い出も多かったわけだが、今度の北陸新幹線の開業で、糸魚川までなら東京からたぶん2時間以内だろう。スゴイことだし、嬉しいことだけれど、そうなってみると、「白山」やら「黒部」「北陸」なんかがやたら懐かしくなるのもまた人情であろう。

 けれどもまた、何ごとでも「つながる」ことはステキなことでもあることは、昨今のぼくのフェイスブック体験でも実感している。難しいのは「つながり方」だろうが、試行錯誤しながら、「いいとこどり」をしていくべきだろう。

 北陸新幹線の「いいとこどり」は、まずは、金沢再訪ということになるだろうか。

 


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