1 猫の話

2014.9.15


 「猫の話」という梅崎春生の短編小説がある。猫が車にひかれて、ペッチャンコになってしまい、雑巾のようになった猫の上を車がその後もどんどん通るので、やがてそのペッチャンコの猫も、端のほうから車のタイヤに削れられてだんだん小さくなってしまい、最後はなくなってしまうというような話で、これがかつての高校の国語の教科書に載っていた。

 ぼくはその話が気に入って、授業でもやったことがあるのだが、やがて教科書の編集委員になったときには、もうその話は「おろした」という。どうして? って聞くと、とにかく現場の先生方の評判が悪すぎる。猫が自動車にひかれて死ぬだけでも耐えられないのに、その死体が雑巾みたいになって、どんどん小さくなっていくのを黙ってみているなんてひどすぎる。こんな話は載せないでほしいという要望が現場の教師たちから殺到(?)したというのである。こんな話を載せるなら、あんたのところの教科書は採用しないという教師たちもいたようだ。その小説自体は、現代社会のあり方を風刺したすぐれた小説だったのだが、猫好きには許せない小説だったわけだ。

 そんな話を聞いたのは、もう10年以上も前のことだが、そのときは、まったく猫好きは困ったもんだと呆れたものである。

 ここ何年か、毎年夏休みなると、家内と夕食後にウォーキングをしているのだが、今年は夏休みが終わっても学校が始まらないものだから、そのウオーキングを秋になっても続けている。自宅から坂道を降りて行くと、上大岡駅の近くを流れる大岡川沿いの遊歩道があるのだが、そこを歩いていると、決まって若い2人連れと出会う。彼らの姿を見かけるようになってから、もう何年にもなる。2人とも、いつでも決まって上下ともに真っ黒なスポーツウエアに身を包み、黒いキャップを目深にかぶり、女性の方は、白いイヤホンをしている。2人並んで話しながら歩くなんてことはなく、縦一列で、うつむき加減にサッサと歩く。ぼくらとすれ違っても、絶対に顔をあげない。だからもちろんいまだに挨拶ひとつしたことがない。

 さて、川沿いに5階建てほどの割と大きなマンションがあり、その玄関に入る前のアプローチの所に、一匹の猫がいる。ぼくは猫の知識がないものだから、どういう種類の猫かしらないけれど、白と濃いグレーのブチで、年齢不詳。どことなく「初老」といった風情がある。オスかメスかも分からない。

 この猫と、先ほど紹介した若い2人がものすごく仲がいいのである。彼らは、猫のところに来ると、そこにピタリととまり、腰をかがめて猫と遊ぶ。時には、道から川縁への階段を降りて、川原(といってもほとんど草むらだが)で遊んでいることもある。猫はもう完全に彼らに慣れきっていて、お腹を上にしてゴロゴロしたりしている。彼らの目的は確かにその格好からしても、ウォーキングであることは確かだが、それ以上にこの猫と遊ぶことのウエイトの方が大きいように見受けられる。

 家内は根っからの動物好きなので、いつからか、彼らをまねて、猫に声をかけるようになった。もう2年以上も前のことのような気がする。すぐに、猫は挨拶してくれるようになった。マンションの玄関に座っているときなどは、こちらをチラッとむいて、一声ニャーと鳴く程度だが、ほとんど無視はしない。ときどき、鳴かないでツンとしているときもある。その程度の「関係」なのだが、1年の空白があって、次の夏休みにウオーキングを開始して、猫に声をかけると、ちゃんと覚えていて答えてくれる。

 けれども、若い2人に対する態度と、ぼくらに対する態度には雲泥の差がある。若い2人が来たと分かると、「ウワーッ、来た〜。ウレシイ!」って声が聞こえるような態度で、彼らに向かってダッシュしてくる。やっぱりあれだけタップリ遊んでやるからねえ、ぼくらは、ただ撫でてるだけだから、そっけないんだな、なんて思いながらも、ぼくらはそんなに時間をとれないから、相変わらず、ナデナデぐらいのところで、後からやってくる2人とかち合わないようにソソクサとその場を離れるのだった。

 ところが、今年、家内がそのマンションに住んでいる知人に、「あの猫はマンションの管理人さんが飼っているの?」と聞いたところ、誰が飼っているというわけではなくて、誰かが毎日エサを与えているらしい。玄関で待っているのも、エサをくれる人を待っているんじゃないのかなあ、って言ってたと言うのである。

 そういえば、あの2人も、エサをやっている時があったなあ、そうか、あの猫があの2人にあんなになついているのは、エサをくれるからなんだと、数年目にしてようやく気づいたのだ。じゃあ、私もやってみようと、家内は知人から聞いた「猫のおやつ」というものをスーパーで買い込み、小分けになったその一袋を持って、出かけた。いつものように猫に声をかけると、ニャーと言って振り返った。「あ、いつものナデナデだけのヤツか。」といった顔をしている。家内がおやつを差し出すと、猫は「オッ」といった風で、ゆっくりこちらに歩いてきて、家内の手からおやつを食べた。それほどガツガツでもない。「へえ〜、君たちもくれるんだ。」てなもんである。

 そういうことが2、3回続くと、猫ももうすっかり分かって、ぼくらが近づいた気配だけで、生け垣の向こうでニャーと鳴き、スタスタとこっちへ歩いてくる。こんなことはかつてなかったことだ。なんだ、ゲンキンなものだなあ、と半ば呆れながらも、だんだん、若い2人の気持ちも分かるような気がしてきた。

 オレたちがエサをやっていることが、彼らにばれるとやばいぞ、嫉妬されるかも、アタシたちの猫に余計なことしないでよ、なんて言われたりしてね……。そんな気遣いもあって、エサを家内が与えている間、ぼくは、彼らがこないか暗闇の中を監視する。彼らの姿が見えたら、即撤退だ、と思いつつ。でも、まだ、一度も彼らと猫のところでかち合ったことはない。

 どちらかというと猫は苦手だったぼくだが、今ではすっかり猫好きになってしまい、ウォーキングの目的の半分は、猫に会うためになってしまっている。

 「猫の話」がもう一度教科書に載りそうになったら、反対するかもしれない。


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