コレクション


 

 中学生から高校生にかけての約2年間ほど、昆虫採集に熱中し、かなりの標本を作ったことがある。対象とした昆虫は、主として甲虫類で、なかでもゴミムシの仲間が多かった。これらの微小な虫を丁寧に標本にし、ラベルをつけて、桐で出来た標本箱に並べた。甲虫の標本のギッシリつまった標本箱は、最終的には20箱ぐらいになったろうか。それは、ぼくのほんとうの意味での宝だった。ぼくが当時いちばん恐れていたのは、火事や地震などで、その標本箱が失われることだった。それが失われるときのことを考えると、自分は生きていけないような気がした。ぼくは、その恐怖を小説めいた文章にしたほどだ。

 しかし、高校2年になったとき、ふっつりとその標本箱に対する執着が消えた。何物にも変えがたいと思っていたその標本が、一瞬にして単なる虫の死骸になってしまった、というわけではないが、しかし、かなりそれに近い感覚だったように思う。高校1年までは、将来生物学を研究することに心を決めていたのに、突然文系への進路転換を余儀なくされたことの内面的なショックからだったのかとも今になっては思うが、とにかく、コレクションに対する執着が消えたことで、ずいぶんと気分的に楽になったような気もする。

 それからも、ぼくは、何に対しても「コレクター」的な性質をいつも発揮し、ずいぶん無駄な金を使ったが、しかし、昆虫標本に対するような執着と情熱は二度と感じたことはない。いや、むしろ、そうした執着を持つことを自分に対して戒めてきたのかもしれない。あんなに情熱をもやしていた昆虫のコレクションでさえ、あっと言う間に魅力を失ったことが、一種の心のキズとなったような気もする。

 池波正太郎の「夜明けのブランデー」というエッセイ集(文春文庫)を読んでいたら、「コレクション」という文章があって、その中に「私は〔コレクション〕に全く興味がないし、骨董の鑑賞にも無縁である。/それというのも、一つには大平洋戦争の後遺症が残っているからだ。/この世の中に、どんなことが起っても不思議はない。/個人の人生なんていうものは、恐ろしい動乱、人災や天災の前には、ひとたまりもない。いまの若い人には実感がわくまいけれど、その事実を、まざまざとわが眼にたしかめた者にとって、あのときの衝撃は生涯、ついてまわる。」という記述があった。

 ぼくは、戦後の生まれだから、そうした「衝撃」を味わったわけではない。わがコレクションが戦争によって消滅するのを目の当たりにしたわけではない。むしろ、そうではないにもかかわらず、コレクションに対する情熱が内部からさめてしまったという「衝撃」を味わったといえる。そのほうがよほど深刻な気もするのだ。どんなに好きなものでも、いつまでも自分のものにしておくことはできない、いつかは必ず失われるという切実な体験はたしかにショックだろう。しかし、どんなに好きになっても、自分がその好きという感情をいつまでも保つことができないのだと知ったときのショックはなお大きい。

 マニアと呼ばれる人たちがテレビでよく紹介されるが、その家の中に所狭しと詰め込まれたプラモデルとか、酒のビンとかを見ると、この人たちは生涯こういう趣味から覚めることはないんだろうなあと羨ましくもなる。しかしそれと同時に、大きな地震などで、これらのコレクションが一瞬で灰になるのをどういう気持ちで見ることになるのだろうかと思うと、青春のはやい時期にマニアから脱落してしまったことに、ホッと胸をなでおろすのである。

(1998年)