ああ、哀愁の有明のハーバーよ

(わがグルメシリーズ2)


 

 若い頃というのは、どうしてあんなに食べ物に対して貪欲になれるのだろう、などという疑問はおそらく馬鹿げている。体が成長する時期なのだから当然のことなのだろう。しかし、近頃特に体が衰えたというわけでもないが、何を食べたいとか、飲みたいとかいった願望が体の中からぷっつりと姿を消してしまったのを実感すると、若い頃のそうした欲望のようなものが、実に不可解なものに感じられるのも確かなことだ。いや食べ物についてだけではない、若い頃の行動というものも、今になって振り返ってみると、滑稽きわまりないものが多いものだ。

 高校生の男女交際などというものは、不純きわまりないものであって、とうてい容認できないなどと日頃友人に向かって硬派な言葉を吐き散らしていたのに、回りの「軟派な」奴らが、そろそろ受験勉強に専念しようというわけで、「彼女と別れた」などという噂があちこちで聞かれるようになった高校三年の初夏に、こともあろうに、ぼくに「彼女」が出来てしまった。そういう場合、本当ならかなり気まずい感じを持つものなのだろうが、ぼくの場合、自分の態度の急変というものを、気まずさなどという心理状態なしで済ましてしまうという図々しさがあって、そのへんはなんなくクリアーしてしまい、逆に、受験だからといって彼女と別れるなんてそれこそ不純だなどと周囲の友人を非難する始末だった。だからといって、無粋をきめこんでいたぼくが、急に出来てしまった彼女と、スマートな付き合い方ができるはずもなく、そもそも「女性と付き合う」といっても、どうすればいいのか皆目見当がつかなかった。

 最近、教えている高校一年の生徒が、「彼女と別れた」などと言っているから、「何で別れたんだ」と聞かなくてもいいことを聞いたら、「お金がないからですよ」と言う。「なんでお金がないと別れるんだ」と驚いて聞くと、「先生、女の子と付き合うにはお金が要るんですよ」とさとすように言う。映画一つ見るにもお金がかかるでしょ、その後何か食べるにしても、などというから、心底驚いてしまって、家に帰ってから、例の高校三年の時に出来てしまったという彼女の後年の姿であるところの現在の僕の妻にその驚きを語った所、そこにいた親族の前でその妻は「そうよ、この人は(と僕を指さし)男のプライドなんてないから、一度だって奢ってくれたことなんてないのよ。全部割り勘なんだもの」と、二十数年も前のことをなじるのだった。そういえば、そうだったなあなどと妙に納得してしまい、ぼくの驚きは、別に時代の変化によるものでもなんでもなく、ただぼくが普通と違っていたことからくるものなのだと悟った。ぼくは今でも、デートをして男がその費用を全額払うなどということは、何か下心があるようで嫌だと思っている。単なるケチなのかも知れないが、もし万が一にも今後ぼくに好きな女性が出来ても、ぼくはデートの時きっと割り勘にしてしまうだろうから、絶対ふられてしまうに決まっていると妻は固く信じているようだし、ぼくもそれにさして異論はない。

 そんなことはともかく、当時のぼくには映画に誘うなどというしゃれた発想はなかったことだけは確かだ。だから当然金もかからなかったが、どうしていいかわからなかったので、二人だけで会うことも多くはなかった。ただ通学のバスの中で顔を合わせるだけだった。そのうち夏休みになってしまって、ああ、これで二学期まで会えないなあなどと思っていると、突然彼女からわが家に電話がかかってきた。家に遊びにこないかというのである。いわゆるデートというものをなんにもしないうちに、いきなり家に招かれてしまったというわけである。

 これには困った。行かないというわけにはいかない。大いに行きたい。しかし、どういうふうにいけばいいかわからない。勿論親には内緒である。ばれたら、受験勉強しなきゃいけない時に女の子とつきあうなんてと文句を言われるに決まっていると勝手に決め込んでいた。だから絶対内緒。着ていくものは制服以外に持っていないのだから考える世話はないとして、何か手土産をもっていくべきではないだろうか、手ぶらで行くというのはやはり失礼であろう。そう考えた。

 そこで、まず家を出る時には友達のところへ行ってくるなどとお決まりの嘘を言って、次に町内の煎餅屋に行って煎餅を買い、それを土産にしようと考えた。ぼくの家はペンキ屋で、職人に出す茶菓子は煎餅と決まっていたので、お菓子というと煎餅しか思いつかなかったのである。いくら世間知らずでも、駄菓子を土産にできないぐらいは知っていたから、ここは一番煎餅の出番であると思ったのだろう。

 さて煎餅屋で、一応海苔のついた高級そうなのを選んで、包んでもらったのだが、その次に考えたのが、この煎餅の包みを剥き出しで持っていっていいものだろうかということであった。家にくる客人の様子を思い起こすと、お菓子の包みを剥き出しで持ってくる者はいないようだ、やはり風呂敷に包んで持ってきている。そうだ風呂敷だ。あれを持ってくるんだった。しかたない取りに帰ろう、と言うわけで、煎餅屋にその包みを預かってもらい、家に引き返した。煎餅屋と家は2分とかからない距離なので造作もないことだったのだが、家で風呂敷を出してもらうのはやや不自然な気がして、疑われやしないかとひやひやもので、それでもとにかく風呂敷を手に入れ、煎餅屋に向かったのだが、家の者が不審に思って家の外に出てぼくの様子を伺っているのではないかとそれが気になり、後ろを振り返り振り返り歩いていると、突然半袖のシャツのそでが激しい音をたてて破れた。電信柱から出ていた釘に袖を引っかけてしまったのだ。かぎ裂きになってしまったシャツではどうしようもないので、ぼくはもう一度家に引き返し、シャツを取り替えた。おまえは一体何をやっているんだの声を後ろにこんどは一目散に煎餅屋に走り、煎餅の包みを受け取り、それを風呂敷にくるんで彼女の家に向かった。彼女の家に着いた時は、長旅をしたあとのようにぐったり疲れていた。といっても彼女の家と僕の家とはバスで二十分ほどしか離れていなかったのだが。

 ぼくは応接間に通され、紺色のソファーにふかぶかと座り、ああ、やっぱりお医者さんというのは金持ちだなあと妙に感心して、ぼくの前に座っている彼女を見ていた。

 ふと気づくと、テーブルの上にお菓子がある。それはぼくのだいすきな「有明のハーバー」であった。今でこそ何の変哲もないハーバーであるが、当時はこのお菓子が出現して間もない頃だったので、異様なおいしさを誇っていたのである。これと、亀屋万年堂のナボナは、双璧といってよかった。なにしろ前述したように、ぼくが普段口にするお菓子というものは、職人に出すような類のお菓子がほとんどで、それも十分満足できるほど口に入るわけではなかった。まして有明のハーバーなどというものは最高級のお菓子の部類に入っていて、まるまるそれを一つ食べられることはほとんどなかったといっていい。半分食べられればいいほうだった。

 それにしても、あのハーバーのうまさといったら。両端がとんがった楕円形をして、上の方はこんがり焼けて光沢があってツルツルしている。下の方はカステラ状で、一口食べるとその両側の固さ、風味の微妙な違いが口の上下に、つまり上唇と下唇、上顎と舌に、なんともいえない感触を与えたかと思うと、それまでの饅頭のアンコとはまったく違う甘味と感触をもった餡がポックリと口の中に出現するのだ。ああ、うまいと、何度ため息をついたことだろう。

 その有明のハーバーが、テーブルの上にいくつも乗っている。もうヤッホーという気分である。その時紅茶が出ていたのか、ジュースだったのか、まるで覚えていない。ただ記憶にあるのはハーバーのみである。おそらく一つのハーバーを十分な満足をもって食べおわった頃だったろうと思う、ぼくは、生涯忘れられない言葉を耳にしたのだった。

 先程から、応接間に面した庭にあらわれてときどき低く唸っていたばかでかい犬に向かって、「ブルちやん、ほら食べなさい」と彼女が言ったのだ。次の瞬間、ぼくはその彼女の手の先に、あの、有明のハーバーが、それもまるごと一つしっかり握られているのを見たのである。あんな犬に、あの、あの有明のハーバーを食わせる気か、あ、あ、も、もったいない、と思う間もなく、ぼくの驚愕をよそに、哀れ有明のハーバーは巨大な犬の口の中に、まるで大きな古井戸のなかに落下していくように消えていったのである。

(1993年)