96 プロヴァンスなんだもん

2005.8


 水彩画を自分なりに本気で描くようになって30年近くになるだろうか。その間、主として風景を描いてきたのだが、頑なに守り続けてきたことがある。それは、写真から描くにしても、自分が撮った写真以外は使わないということである。水彩で風景を描く多くの人は、必ず現地で描くということを信条にしている人も多い。ぼくの場合はほとんどが写真を見て自宅で描いているので、せめて「自分の撮った写真」という限定をもうけたのだ。

 けれども、日本の風景ばかり描いているうちに、だんだん飽きてきてしまった。30年も日本の景色を描き続けてきたというだけでも、飽きっぽいぼくにしれみれば「自分を褒めてやりたい」ようなコトなのだから、その日本の風景に飽きたというぐらいのことは、致し方ないことなのだ。

 ところで、日本の風景しか描いてこなかったという理由は2つある。1つは、水彩スケッチなんていうと決まってフランスとかスペインとかへすぐに出かけていって、いかにもオシャレな絵を得意気に個展などで飾る人への反発であった。どこを切り取っても絵になるような外国へ行けば、そりゃ素敵な絵が描けるでしょうよ。そんな安易なことではなく、全然風景にならないような地味な場所を絵にしてこそ「絵を描く」意味があるんじゃないのと、そんなふうに思っていたわけだ。そしてもう1つ。それは「自分の撮った写真」という枠がある以上、外国の絵は必然的に描けないのだ。なぜなら、ぼくは外国に行ったことがないし、これからも行くつもりはないからだ。

 1つめの理由は、「意地」のようなものだから、すぐに解決できる。ただ2つめは、そう簡単にはいかない。外国に出かけるか、それとも「自分の撮った写真」という枠をはずしてしまうかの究極の二者択一を迫られる。

 外国に出かけるには、飛行機に乗らねばならない。まだ一度も乗ったことのない飛行機に乗るくらいなら、つまらぬ「信条」など捨ててしまったほうがいい。それが結論だった。

 それで、生まれて始めて、外国の風景を描いた。それがプロヴァンスの絵である。元になった写真は洋書の写真集。著作権の問題が気にならないでもないが、洋書なら大丈夫かなといったいい加減さだが、まあ、とにかく新鮮でいい。描き上がった絵を見ると、まるで自分がそこに行ってきたかのような気分になる。これはこれでひとつの道かもしれないなどとひとりで悦に入っている。


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