94 キャンパス・ライフ

2005.7


 近くにあるのに、なぜか行ったことのない場所というのはあるものである。それがどんなに有名なところでも、何かの用事でもないと、なかなか足が向かないものだ。

 たとえば、大学。生まれてかたこのかた横浜を離れて住んだことがないうえに、学校の教師をやってきたのだから、名のある東京の大学なら一度ぐらいは足を踏み入れてよさそうなものだが、大学という場所にはどうも縁がない。早稲田は受験したから行ったけれど、慶応となると教師になってから日吉の方へ推薦入学の説明会に行っただけだ。それも10年以上前のことだ。

 慶応といったらまずは三田のほうの校舎だろうが、三田にあることは知ってはいても、いったいどの辺にあるのかよく分からなかった。天下の慶応でさえこうなのだから、まして一部にしか知られていない栄光学園などという妙な名前の学校がどこにあるかなんて知らない人がほとんどであるのも頷ける。栄光ってどこにあるんですか、と聞かれ、大船です、観音様の奥の方です、と答えると、たいていの人はかなり意外そうな顔をする。もっとも、開成がどこにあるのかもぼくはつい最近まで知らなくて、西日暮里の駅から校舎が見えたときはかなりびっくりした。

 それはそうと慶応である。先日、法学部の指定校推薦の説明会が三田校舎であるというので、出かけてきた。地下鉄の三田で降りたが、やはり方向がよく分からなかった。地図を片手にうろうろしていると、東京タワーが間近に見えた。ちょっと驚いた。その東京タワーの手前に、写真で見覚えのあるレンガ造りの建物が見えた。それを目標に歩いていくと、大通りに面したところにこれもレンガ造りの大きな門があり、そこをくぐると大都会の喧噪が一挙にかき消え、静かなたたずまいのキャンパスが広がっていたのだった。

 これだけのことなのだが、感動してしまった。これがあの有名な慶応義塾大学かあと、まるで田舎の中学生のような感慨にしばしふけってしまったのだ。

 説明会が終わり、キャンパス内を歩いていると、大きな木の下の椅子に7〜8人の男女の学生が輪を描くように座って、何やら真剣に話し合いをしている。

 失われた青春、ということばがふと心に浮かんだ。殺風景な東京教育大学のキャンパス。そこに繰り広げられた大学闘争の殺伐たる人間模様。それは目の前にある静かで平和な学園風景とはあまりに対照的な光景だった。心の芯がうずくのを感じながら、キャンパスを出た。


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