89 分かりたがりめ

2005.6


 文章というものは、自分で分かっていることを説明するために書く場合と、分からないことを分かろうとして書く場合がある。分かっていることを書くなら、多少の文章力があればそれほど難しいことではないはずだが、そういう文章は読んで面白いといった類のものではない。機械のマニュアルなどは、分かりにくいことのほうが多いが、たとえそれがきわめて分かりやすく書かれていたところで、その文章を味わう気にはなれない。

 逆に、読んで面白い文章というのは、どこか分かりにくいところがある文章のようだ。少なくとも、小骨が喉の奥にひっかかるような文章のほうが長く印象に残る。長く印象に残るということは、その文章が心に残るということで、それなら「詩」と呼ばれるものが、いつもどこか分かりにくいところがあるのも頷ける。「詩」というものが、まるごといつまでも心に残ることを目指しているとしたら、「分からないところ」を紛れ込ませることは、「詩」にとってはひとつの「戦略」にもなるだろう。

 有名な「神田川」の歌詞をフランス語に訳したものを更に日本語に訳したものがある。それを見たら、最後の有名な「分かりにくいフレーズ」であるところの「ただ、あなたの優しさがこわかった」というところが「あなたの優しさが、どこか下心があるようで不気味だった」となっていて、ひどく驚いた。

 この一事をもって「だからフランス人は……」なんて言うことの失礼は重々承知だが、それにしてもひどすぎる。思わず「この、ばかフランス人の、分かりたがりめ!」って言いたくなる。

 「若かったあの頃、何もこわくなかった。ただ、あなたの優しさがこわかった。」というフレーズは、今までにもさまざまな解釈を生んだと思うし、ぼくもいろいろに解釈もしてみた。けれども、どう解釈してみても、どこかしっくりこない、つまりは「分かりにくい」フレーズだった。だからこの歌を聞くたびに、「何でこわいんだ?」という疑問を感じ続けてきたのだが、このフランス人(かどうかは定かではないが)のような解釈は間違ってもしたことはなかった。こう解釈すれば、意味がはっきりし、「それなら分かる」ということにもなるだろう。しかし、そんな分かり方をするくらいなら、いっそ「分からない」まま、その疑問を抱え続けたほうがずっといい。「詩」を味わうということは、結局そういうことなのだ。


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