86 「しゃべり場」考

2005.6


 NHK教育の「真剣10代しゃべり場」という番組がある。金曜の深夜、退屈してチャンネルを切り替えていると、ぶつかることがある。しかし1分と見ていられたためしがない。何だか嫌なのである。教師なのだから、その年代の子どもたちの意見や感じ方を知るいいチャンスではないかと思う方も多いだろうが、どうにも堪えられないのだ。

 どうしてなのだろうと思っていた。というよりも、どうしてなのだろうと考察してみる気も起きないでいた。ところが、先日ある本を読んでいたら、こんな文章に出会った。

そこに出てきてしゃべる子たちの表情がなんだか不気味なんですね。言っていることはわりとまっとうだし、相手のことばに静かに耳を傾ける節度もあるし、なかなかフレンドリーなコミュニケーションが成立してように見えるんです。……でも、気持ちが悪い。番組に出ているまじめな少年少女に対してすごく失礼なことを言っているのはわかっているんですけれども、でも「気持ちが悪い」という生理的な感覚はどうにも否定できない。(内田樹『死と身体──コミュニケーションの磁場』)

 そして内田はその「気持ち悪さ」は、「表情に変化がないこと」と「この子どもたちに、『ためらい』『言いよどみ』『つかえ』というような言語の機能不全がほとんど見られないこと」からくるという。

 そうだったのかと、胸のつかえがおりる気がした。ぼくが「1分も見ていられない」のは、まさに「気持ちが悪いという生理的な感覚」ゆえなのだろう。ほんとうに子どもたちに対してそういう言葉を言うのは失礼だとは思うけれど、「気持ちが悪い」のだ。

 表情の変化のなさのことはさておき、とにかく彼らが、「とうとうとしゃべる」ことに何ともいえない居心地の悪さを感じてしまうのだ。たかが10数年生きてきただけで、どうしてこうまで自信をもって自説を展開できるのだろうかといぶかしいのだ。

 ぼくなんか自慢ではないが、50をとうに過ぎた今でも、自信をもって言えることなんて何ひとつない。大学紛争のまっただ中で、ぼくがいちばん悩んだのは、同じ年齢なのに何でコイツらはこんなに堂々と自分の意見を言えるのだろうかということだった。

 内田はこうも言っている。

誤解している人が多いのですが、本来「若い」というのは、「口ごもる」ことなんです。『三四郎』や『こころ』でも、青年はうまく思いがことばにならなくて苦しむものと相場が決まっているんです。


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