84 綺麗好き?

2005.5


 掃除好きである。といっても家の掃除を家内に代わって率先していつもやっているというわけではないが、自分の部屋が乱雑になっているのは堪えられない。ぼくの部屋はだいたいいつも綺麗である。

 担任をしているクラスの教室が汚いとやりきれない思いがする。しかし、他人に指示して徹底的に掃除をさせるという能力に欠けているので、ぼくのクラスはだいたいあんまり綺麗ではない。それで校長に叱られたりする。けれども、やりたくない奴に無理矢理やらせるということがどうしても好きになれない。教師に向いてないのである。強制することが嫌いだ。強制されることはもっと嫌いだ。ワガママなのだ。

 とにかく乱雑なのが嫌だ。整然としているのが好きだ。これを昔の日本語では「うるはし」といった。「きちんと整った美」のことをいう。源氏物語などでは、家の周りの垣根を「うるはしう、しわたして、」などと表現する。「小柴でできた垣根をきちんと切りそろえて、整然とめぐらして」というような意味である。竹などでできた垣根というのは今でもある。新しいうちはいいが、だんだんと竹が折れたり抜けたりして雑然としてくる。これはみっともない。

 5月にもなれば我が家の小さな庭にも、いたるところに雑草が生えてくる。これを放っておくとエライことになる。先日、家内が出かけたあと、伸びすぎたイロハモミジの枝を切ろうと思い立ち、高枝バサミで切り始めた。初めはちょっとだけと思っていたが、どんどんと切ってしまい、庭もだいぶ明るくなった。すると今度は雑草が気になる。いずれは抜かなければならないから、やってしまおうということで、抜きはじめた。

 腰痛持ちなので、草むしりは苦手である。だから今まではだいたい家内の仕事だった。しかしその家内も寄る年波のせいか、最近では腰が痛いなどと言い出した。それで、どうせならやれるところまでやってしまえと思ってひたすらドクダミやらシダやらを引き抜いているうちに、だんだん熱中してしまい、4時間も続けてしまった。もちろんその夜はひどい腰痛に苦しんだが、それでも庭が「うるわしく」なるということは何ものにも代え難い。

 我が家の庭は日当たりが悪いので、派手な植物は植えられない。日陰でも育つ地味な植物が多いが、それはそれなりに趣のある庭になりつつある。誰にも強制されず、ただ気の向くままに庭の手入れをする。これは歳をとってからでなくては分からない楽しみである。


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