82 時間がかかる

2005.5


 今度の文化祭で、ぼくが顧問をつとめる演劇部が、別役実の「受付」という芝居を上演する。2人の芝居なので、部員が少なくなるとこれをやる。しかし1時間近い芝居なので、セリフを覚えるのがもう死ぬほど大変な芝居である。開演を1週間後にひかえながら悪戦苦闘の最中だ。

 ところでこの芝居は、「受付」という題名どおり、ある「受付」の女事務員と、そこにやってきた男の会話だけでなりたっている。舞台装置としては、受付の机と椅子、それに来客用の椅子(これはなくてもいいのだが)ぐらいのものなので、裏方がほとんどいらない点もありがたい。ただ、机の上に置かれた電話が重要な役目を持っている。しかも、この電話そのものが実際に鳴ることが望ましい。効果音としてあらぬ方向から音が出たのでは台無しである。電話のすぐ近くにラジカセでも置いて、そこから電話の音を流してもいいが、やはりリアルさに欠ける。

 実は、昔の黒電話は、そのコードの先にプラグを取り付けて通電すると鳴るのである。そのことを知ったのはずっと昔の都立高校時代の演劇部を指導していたときのことで、確か電気に詳しい生徒が教えてくれたような記憶がある。それで、演劇用にと、昔家で使っていた黒電話をずっととってあって、これまでも何度もそれを使ってきたのである。

 今回もその電話機を部室から持ち出して、まだ鳴るかどうか試してみたところ、多少心細いが「リーン、リーン」と鳴る。これが舞台で実際に鳴るとなかなかいいのだ。どうやって鳴らしているのだろうかと不思議に思う観客もいるかもしれないと思うと、それだけでワクワクする。芝居をやる楽しみというのはこういうところにもあるのだ。

 「ほら、鳴るだろ。」と得意気に二人の部員に言うと、二人ともまあそこそこの反応で、「へー、これで鳴るんですか。」なんて言っている。「スゲー!」ぐらい言って欲しいものだ。すると、一人の部員が黒い電話をシゲシゲ眺めながら。「だけど、これ、どうやってかけるんですか。」と聞く。ハッとした。「もしかしてダイヤル式の電話をかけたことがないの?」「ないですよ。」「だって、まだあるだろ。公衆電話なんかに。」「だから、かけかた分からないから、かけませんよ。」

 こうやって、ダイヤルをね、といいながら、ジーコ、ジーコと回してみせると、彼はポツリとめんどくさそうに呟いた。「戻るまで待ってるのかあ。時間かかるなあ。」


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