80 どこか変

2005.4


 顔というものは変なものである。女優にしてみても完璧な美人などいない。パッと見は「きれい」でも、よくよく見るとどこか「変」であえる。

 ウインクという女性二人のグループがかつてあって、キャンディーズなきあとのお気に入りだったのだが、それもあっという間に解散してしまい残念に思っていたら、特に好きだったほうの相田翔子が、「世界ウルルン滞在記」の司会で出るようになって、やれ嬉しやと鼻の下を伸ばして見入っていた折しも、側で見ていた家内が「翔子ちゃんって、かわいいけど、ウワクチビルの形が何か変なのよね。」と言う。

 それまで相田翔子をかわいさの極致と思い込んでいたので、顔のパーツごとに見るなどという客観性を持ち合わせていなかったぼくは、ひどくショックを受けてうろたえたが、それでも気を取り直してシゲシゲ見ると、確かに彼女のウワクチビルのラインが妙にノッペリしていて、いわゆる富士山みたいな典型的なウワクチビルのラインがない。それ以来、相田翔子の顔を見るたびに、つい目がウワクチビルに行ってしまい、単純に「かわいい」とうっとりすることができなくなってしまった。

 そんな目で見ると、高岡早紀なんかも、映画「バタアシ金魚」の時はかわいいなあと思っていたのに、最近ドラマなどで見ると、どうも鼻の形が台形みたいで「変」だ。というか、ぼくの好みではない。元宝塚の涼風真世も、大好きなんだけど、パーツごとに見ると、目の形や鼻の形などのバランスがよくない。岩下志麻の鼻などはちょっと大きすぎるような気がする。こう並べてみると、どうもぼくは鼻の形に敏感なようで、アメリカ人などのちょっととがって先が上を向いたような形が好きなようだ。そういう点では、伊東美咲などが「好み」なのかもしれない。

 しかしいずれにしても、すべてのパーツが完全な美しさを持ち、しかもそのパーツ同士が見事に調和しているなんて顔は、現実には存在しないということだろう。そういう完全さを追求する者は、アニメの世界に赴くのかもしれない。

 どこか「変」で、不完全な顔こそ、むしろ人間的なのであり、そういう「変」なところを、何を規準にするのか知らないが「変じゃない」ようにする整形は、どこか非人間的な匂いを漂わせることになる。人の性格も同じことで、「どこか変」ぐらいが、いちばん人間的でいいのかもしれない。そういえば相田翔子ちゃんも、その「どこか変」な性格で、今は売れている。


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