79 慚愧に堪えない

2005.4


 「わたしは、弱い者いじめするのが大嫌いなのよ。」そう言って、三輪明宏は廊下の向こうに消えていった。TBSテレビ「情熱大陸」のラストシーン。

 真っ赤なロングドレスに、燃えるような黄色の髪をゆらゆらさせて町中を闊歩する三輪明宏の異様な姿は、なかにし礼が番組のなかで言っていたように、明らかに世間に対する挑戦であり、抵抗の姿だと、深く納得できた。

 広島から新神戸へとむかう「のぞみ」の中で見た、醜悪なオヤジは、「赤ワインを飲みながらカラシメンタイコを食らう」というオゾマシサもさることながら、車内清掃の若い女性に対する傲慢きわまりない態度故にこそ、ぼくのはらわたを煮えくりかえらせたのだった。あれから2週間たった今でも、ぼくは、あのオヤジを「黙ってみていた」ことが、慚愧に堪えない。「手下」の連中に殴られてでも、言うべきだった。「お前の始末はお前でしろ!」と。あのオヤジに、通路に敷かれた赤ワインに汚れた新聞紙をはいつくばって拾わせるべきだった。それができなかった自分が情けない。その情けなさに対する怒りが日に日に募るばかりである。

 車内清掃の仕事をする女の子が、「弱者」だということではない。彼女らは立派な仕事として従事している。けれども、あのオヤジとその仲間は、明らかに彼女らを自分たちよりも「下」の者とみなし、自分たちの汚した通路でも彼女らがきれいにするのが当然だと考えていた。そればかりか、その汚物を片づけてもらうことに対して、一片の感謝も思いやりもなく、靴のつま先で、その汚物を彼女らのほうに押しやった。その行為は、「ほれ、これを片づけろ。下賤な奴め。どんなに汚くても、それを片づけるのがお前らみたいな連中の仕事なんだ。」ということを無言のうちに語っていたのだ。

 ぼくがそのとき、直感的に感じたのは、戦時中、日本の軍人がアジアの各地でとった態度のなかに、これとまったく同質なものがあったのではないかということだった。一方的な差別意識の中で、日本人はどんなに破廉恥なことをしたことだろうと、そのオヤジを見て痛切に思ったのだ。

 弱い者、差別される者の側にたって物事を考えること、それがぼくらの基本的な姿勢でなければならない。三輪は、みずからの被差別体験をもとに強固な立場を獲得したのだろう。そうした体験のない者が、そういう思想的な立場を我がものとすることは困難なことだ。だが、それこそがぼくらの緊急の課題である。


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