74 何もしないで悠々自適

2005.3


 学校の先生をしているといえば、結構な教養の持ち主のように一般には思われているかもしれないが、それはまあ専門分野のことで(それもあやしいが)、専門外のことだとかなり常識的なことでも知らないなんてことは珍しくない。テレビの芸能人出演のクイズ番組で、「春分の日や秋分の日を挟んだ1週間のことを何というでしょう。」という問題に正しく答えられたのは6人中たった1人だった。若いタレントなんて「奇跡の1週間」などと書く始末で、ほとほと呆れてしまった。もちろん正解は「お彼岸」である。

 で、ためしに、学校で仲間の教師6人ばかりに聞いたところ、やはりできたのは1人だった。これはちょっとショックだった。どうも近頃の若い人はお墓詣りに行かないらしい。お墓詣りを年中していなければ、「お彼岸」というのも「生活語彙」(日常生活で普通に使う言葉)には入らない。そういう言葉は知らないものだ。

 嘆かわしいなどと思っていたが、たまたま「菜根譚(さいこんたん)」という書物のことを別の本で読んで、そうかそういう本だったのかと今度は我が身の不明を恥じることとなった。このあまりに有名な書物を、ぼくは何となく「養生訓」のようなものだと思っていたのだ。「養生訓」が健康に関する教えだとすれば、その菜食版が「菜根譚」ぐらいに思っていたようだ。作者も江戸時代の日本人だと思っていた。これでは「お彼岸」を知らない教師を嘆く資格も何もあったものではない。

 「菜根譚」とは中国の明末の儒学者洪応明が書いた処世哲学の書である。特に山林閑居の楽しみを説いた後半が有名だが、中国ではさっぱり読まれなかったのに、日本では江戸時代に盛んに愛読されたそうだ。(だから日本人の作品とぼくが思ったのも少しはあたっている?)

 最近その「菜根譚」を手元においてぱらぱらと読んでいるが、なかなかどうして面白い。「のんびり釣りをしているのはのどかなようだけど、魚を殺す道具を持っている。静かに碁を打つのも世間離れした趣味のようにみえるが、戦う心が動いている。だから何もしないで悠々自適がいちばんいいんだ。」というようなことが書いてある。昔から中国で趣味の王道とされてきた「釣り」も「囲碁」も一蹴されている。釣りは縁がなく、囲碁は弱くてやめたぼくにはなかなか心地よい言葉だ。でも、果たして「何もしないで悠々自適」などという境地にいったいいつになったら到達できることだろうか。


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