72 漢字はエライか

2005.2


 つい先日のことだと思うが、「今どきの小学生はこんな漢字も読めない。やっぱり学力低下だ。」といったような記事が新聞に載っていた。またかと思ってあまり詳しく読む気にもならなかったが、ちらりと見たところでは、「読本」を「とくほん」と読めないとか、「葉っぱのふちがまるい」の「まるい」を「丸い」と書いてしまうとかそんなことで、あまりのことに驚いた。

 何で今どき小学生が「読本」を「とくほん」なんて湿布薬みたいな読み方ができなければならないのか。パソコンで「どくほん」と書いて変換すればちゃんと「読本」と出るではないか。そもそも今の世に「読本」なんてものがあるのか。旧制時代の教科書のことではないか。そんなものを小学生が知っているはずもないし、知らなくてもいい。

 「まるい」に至っては言語道断で、「丸い」と「円い」の書き分けなんて、まるで意味がない。どっちだっていいって辞書にすら書いてあるのだし、だいたい「円い」なんてあんまり書かない。小学校では、本気で「円い」と「丸い」の区別を教えているのだろうか。ばかばかしいことだ。そんなことで子供を悩ませるくらいなら、「まるい」と書けばいいと教えればいいのだ。

 よく難しい漢字を調べて「ほんとはこういう字なんだ」なんて言ってしきりに感心している人がいるが、こういう人の固定観念というのは「漢字がほんとうなんだ。」ということらしい。漢字のほうがエライと思っているらしい。「ほんとうの」和語なら、漢字になんてならないはずで、みんな当て字にすぎないのだから、漢字のほうがエライなんて言えやしない。

 「セントレア市」という名前が顰蹙をかい、白紙撤回されたことは慶賀の至りだが、それに対するコメントとして「『さいたま市』とか『ひたちなか市』なんていう名前も漢字にすべきですね。」なんて言っている知識人がいたが、日本の地名なのだから、ひらがなで表記してなにが悪いのか。最近の横浜ブランドが、わざわざ「横濱」などという旧漢字を使って粋がっているよりよっぽど気持ちいい。

 兼常清佐(かねつね きよすけ)という音楽学者は明治18年の生まれだが、随筆の中で、「東京」を「トーキョー」と書き、大須賀乙字(人名です)を「オースカ・オツジ」と平気で書いている。昨今の子供のややこしい名前の読みを見るにつけても、いっそこのほうがすっきりするわいと感心した。もっともこの人、ローマ字論者だったらしいが。


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