66 京の奇跡

2005.1


 横浜にいると、ちっとも現実感のない「個展」だったが、案内状のハガキもできあがり、そこに会期と会場がはっきりと印刷されているのを見て、ようやく事態のただならぬことに気づいた。とにかく京都にいかねばならない。1月9日、ぼくと家内は、1泊の予定で京都に向かった。

 会場は、和風の落ち着いたギャラリーだった。そこに、つい1月前までは、ぼくの部屋の引き出しの中に眠っていた絵がまるで生まれ変わったように展示されている。絵の拙さは隠すべくもなかったが、額に入り、壁に掛けられ、照明をあてられた絵は、一応は鑑賞に堪えるものだと自分でも納得されるものだった。自分の絵に自信のないぼくにとっては、この「納得」が得られたということは、嬉しいことだった。ぼくは感謝の気持ちでいっぱいだった。その上、案内状を出した栄光の卒業生が何人も来てくれたのだから感激もひとしおだった。

 翌日、午前中は東山を散策し、午後3時から5時までギャラリーにいて、それから帰途につく予定だった。5時を過ぎ、そろそろ失礼しようかと思っていたころ、入り口で懸命に手を振っている男がいる。思わず声をあげた。Tじゃないか!

 Tはぼくのとりわけ親しい教え子である。彼が京都大学に在学していることは知っていたが、大学院入試の準備で大変らしいということを聞いていたので、見てもらいたいなあと思いながら、結局案内状も出さずじまいになってしまっていたのだ。そのTが、目の前にいる。

 どうしたんだ? 誰かに聞いたの? と聞くと、まったくの偶然だという。今朝卒論をようやく書き終えて、買い物に出たんだけど、石畳のある道を歩いてみたくなっていつもは通らない道を歩いてきたら、「山本洋三」ってあるんで、びっくりして、でもありがちな名前だしなあ、それに先生が京都で展覧会なんてやるわけないしって思ったんですけど、でも水彩画ってあるし、ひょっとしてと思って中を覗いたら先生の顔があるんだもの、もうびっくりしました! とTは興奮して話した。

 こんなことってあるだろうか。ぼくがあと5分早くこのギャラリーを出ていたら、Tがもう一筋隣の道を歩いていたら、と考えると、ほんとうに奇跡のように思えてきて、カトリック信者の端くれなのに滅多に思ったこともない「神様のみちびき」ということを思った。やはり思いが通じるということはあるのだ、そんなことを思いながら、嬉しそうに話しつづけるTの顔を見ていた。

●ギャラリーの様子はこちらをご覧ください。(下までスクロールしてください)


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