65 初個展

2005.1


 年明けそうそう京都で「山本洋三水彩画展」というのを1ヶ月にわたって開催することになった。

 ことの発端は、京都に住む友人のKと横浜で飲んでいるときに、そうだおれの知り合いのギャラリーで君の個展をやろうとKが突然言い出したことにある。冗談じゃないぜ、個展なんて10年早い。絶対いやだ。第一、おれの絵がそんなに売れるわけがない。昔何枚か売ったことがあるけれど、あとで随分と寝覚めが悪かった。あんな絵を売ってよかったのかってね。だから嫌だ。それに京都でやったんじゃ、作品を送るだけだって大変じゃないか。いやだ、いやだと取り合わなかった。

 けれども、Kは京都に帰ると、さっさと準備を始め、会場も会期も段取りつけるから、作品だけを送れ。あとの額装から飾り付けまで全部こっちでやるからと言ってきた。額縁を買ったり、案内状の印刷などもあるから、とにかく絵を売らせてほしい。そうすればペイするから、と言う。

 ずいぶん、迷った。けれども、ことはどんどん進んでいる。売っていいかどうかは依然として大いに疑問だったが、こうなったら売るしかない。40枚ほどの絵だけを送った。

 しかし、万一売れたら、その絵はもう手元に戻ってこない。今まで描いた絵には、それぞれ愛着があって、それを手放すことには随分と未練があった。そういうこともあって、人から譲ってくれと言われたことが何回かあったが、やはりできなかったのだった。

 考えてみれば、実はこれがぼくの絵の「進歩」を妨げていたのかもしれない。いつも過去の作品に執着して、それと同じ絵ばかりを何度も描いてきた。ちっとも新しい題材にチャレンジしてこなかった。そうだ、もう過去のものとは決別しよう。どんなに愛着があっても、そんなものにいつまでもしがみつくことはやめよう。これから、どんどん新しい絵を描いていこう。そんなふうに気持ちがふと切り替わった。

 そんなわけで「山本洋三水彩画展」は、高校生の頃から自己流でえんえんと続けてきた今までのぼくの水彩画のいわば総決算の様相を呈してきた。Kは、『栄光学園物語』も送れ、『100のエッセイ2』も送れ、絵はがきも作って送れ、みんなまとめて売るからと言う。考えてみれば果報者である。そこまでやってもらえるなんてことはそうそうあるものではない。ここはひとつ腹をくくり、展覧会の成功を目指して頑張ろう。

 その展覧会は、今日1月8日に始まる。


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