61 柿の木坂の家

2004.12


 さんざん聴きもし、歌いもしたはずの歌なのに、さてどういうことを歌っていたのかしらと思い出そうとしても一向に思い出せない歌というのは案外多いものである。

 田端義夫の「かえり船」なども幼いころからよく耳にしてきたが、「波の背の背に、ゆられてゆれて、月の潮路のかえり船」はいいとしても、その後の「霞む故国よ」の意味を考えることもしなかったから、これが戦後の引き揚げ船を歌ったものだということに長いこと気づかなかった。父がシベリア抑留者であったというのにである。「岸壁の母」がシベリア抑留の我が子を待つ母の歌だということはさすがに知っていたのだが。

 ところで「柿の木坂の家」である。この歌は題名だけ知っていて、どういう歌かは実はよく知らなかった。けれどもこの「柿の木坂」が東京目黒区のあの「柿の木坂」だということは当然のこととして信じ込んでいた。今から20年ほど前に、この「柿の木坂」にある家に家庭教師に行っていたことがあり、この高級住宅街の様子はよく知っていたから、きっとこの歌は「柿の木坂」にあるお金持ちの家の令嬢のことでも歌っているんだろうなと漠然と思っていたのだ。

 ところが、先日買い求めたちあきなおみのCDを聴いていたらこの歌が入っていて、なるほどこのメロディーの歌だったのか、これなら聴いたことがあるわいと感慨深く聴いているうちに、歌詞がどうも変だ。

 「春には 柿の花が咲き 秋には 柿の実が熟れる」──なるほどそうか、だから「柿の木坂」なんだな、とここまではいい。「柿の木坂は 駅まで三里」──ここでつまずいた。「駅まで三里」って、そんなに遠かったか、柿の木坂って、といぶかりつつ次をよく聴くと、これはもう全然目黒の柿の木坂なんかではなかった。田舎から都会に出てきた青年の望郷の歌である。柿の木坂は、田舎の坂であったのだ。

 こんな思い違いはぼくだけだろうかと思って学校の同僚に聴くと、みんな「え? あの柿の木坂のことじゃないの?」とびっくりする者ばかり。もっとも端から知らないという者の方が圧倒的に多かったが。

 家内に聞くと、「二号さんの話じゃないの。」という答え。なるほどそうきたか。柿の木坂に住む二号さんというのもいかにもありそうな話だが、それではお富さんの世界である。そういえばこの「お富さん」の歌も、「イキナクロベエ、ミコシノマツニ、アダナスガタノアライガミ」というまるで暗号のような歌だった。


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