50 プリント好き

2004.9


 言葉がぎっしりつまった本を並べて眺めているが好きだと前々回書いたが、それと同時に紙の上に言葉を並べていくことも大好きだ。これを、ものを書くことが好きだというふうに言い換えると、ちょっと違う。ものを書くことも嫌いではないが、それ以上に、紙の上に言葉=文字を並べていくことが好きだということだ。これを文字を書くことが好きだというふうに置き換えると、何だ書道が好きなのかと思われてしまうから、それもだめだ。書道は苦手である。嫌いではないが、字が下手なのでコンプレックスが先立ってしまう。

 要するに、ぼくが好きなのは、簡単に言ってしまうと、印刷なのだ。もっと原始的なところでは、スタンプを押すことだといってもいい。印刷することを、英語ではprintというが、この言葉はまた、「人が話などを印刷する」「活字にする」「出版する」などの意味の他に、「足跡などをつける「封印・判などを押す」「布地・壁紙などに模様をつける」などの意味がある。後者のほうが原義のような気がするが、いずれにしても、「印刷が好き」というより、「プリントが好き」と言ったほうがぼくにはぴったりするかもしれない。

 もっとも、「プリントが好き」なんて教師のぼくが言うと、やたらプリントの教材を配りまくる熱心な教師と勘違いされるおそれもあるが、そんなことはない。もっとも、プリント教材を作るのは嫌いではないが、それは「プリント」する行為自体、あるいは、出来上がったきれいなプリント教材が好きなのであって、教育への熱心さとは質が異なる。

 とにかく、たとえば、判を押すということが好きである。これも間違ってもらっては困るが、決して連帯保証人になるのが好きだという意味ではない。ただ、判を押して、「同じ形がいくつも印される」ということが好きなのだ。これこそが、printの本質なのだ。

 教師をしていると、ときどき、判を大量に押すようなことがある。卒業証書とか、大学へ提出する調査書といった類だ。たいていの人はこういう作業を嫌うが、ぼくはとても嬉しい。押したばかりの判が擦れないないように、広いテーブルに並べていくと、黒い文字が鮮やかに書かれた卒業証書の上の赤い模様がまるで花が咲いたように広がっていく。うっとりする光景だ。

 こうやって、延々とエッセイを飽きもせずに書きつづけているのも、文字がどんどん並んでいく光景にただうっとりしているだけなのかもしれない。


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