48 消しゴム千個

2004.9


 「生来こまごまとした物が好きだ。何かで景品が当たるなら、テレビや冷蔵庫一台よりマッチ千箱、消しゴム千個もらうほうがうれしい。」と、村田喜代子という作家が書いている(「異界飛行」講談社)。昭和20年生まれという世代の近さ故なのか、いたく共感した。

 消しゴムなんて、一個を完全に使い切るには、下手をすれば何年もかかってしまう。第一、消しゴムがお風呂の石けんのように「完全消滅」する現場をみたことがない。たいていは途中でどこかへいってしまう。そんな消しゴムを千個もらっても、とうてい使い切れるものではないが、でもその「うれしさ」はよくわかるのだ。千個の消しゴムを使うかどうかが問題ではなくて、消しゴムを千個も持っているというコトが、とてつもない贅沢な気分を味あわせてくれるのだ。

 小学生の頃、近くのお三の宮のお祭りになると、商店街の中にあった我が家の前にまで、夜店が出た。お三の宮から我が家までは百メートル以上は離れていたから、いかにたくさんお夜店が並んだか想像がつくだろう。

 ある時、家の前に風船屋が店を開いた。色とりどりの風船がまばゆいばかりにつり下げられてた。風船を機械でふくらませたあと(ひょとしたら昔のことだから口でふくらませていたかもしれない)、普通なら口のところをキュッと結んでおしまいなのだが、その風船屋はその口を縛るかわりに、直径1センチぐらいのビー玉でふたをした。なるほどこのほうが効率的である。

 祭りがおわり、お店も撤収したあと、その風船屋のおじさんが家に入ってきて、これを来年まで預かってほしいといって、30センチ四方ほどの箱にぎっしりと入ったビー玉を置いていった。何でそんなものを預けなければならなかったのか知らないが、その箱にぎっしりつまったビー玉をみて思わず溜め息がでた。五個、十個という単位でしか買ったことのないビー玉が何百個とある。来年、おじさんが取りにこないといいんだけどなあとしみじみ思ったのをよく覚えている。

 そのビー玉も使えたわけではない。自分のものになったわけでもない。でも、自分のところに何百個というビー玉があるというコトは、はるかに日常を越えた「何か」だった。

 読みもしない本を本棚に大量に並べて喜んでいるのも、それに近い感覚だ。しかも、その本の中には、大量のビー玉、あるいは千個の消しゴムのように、「言葉」がぎっしりとつまっている。これ以上の幸せはない。


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