42 教師と休み

2004.7


 こんなことを言うと反感をかうだけだから誰も言わないのだろうが、教師というのは休みが多いからいいのである。

 そういうと、誰も言わないどころじゃない、さんざん言ってきたじゃないかというむきもあろう。「いいよなあ、先生って。休みが多くて。」なんて嫌みの一つも聞いたことがない教師はまずいないだろう。ぼくが言いたいのは、教師自身は誰もそんなことは言わないということなのだ。休みが多くていいですね、と言われた教師が、ええそうなんですよ、いいでしょう、などと率直に答えることはまずない。「それが、そうでもないんです。部活とか、合宿とか、いろいろありましてね。」というあたりが相場。もちろん、運動部の顧問でもやろうものなら、それこそ夏休みどころではないという教師もたくさんいる。けれども、反感をかうだろうけれども、ぼくの場合、教師をやってきてこの30数年、夏休みはほぼ30日前後とってきたということもまた事実なのである。

 ぼくらの世代で教師になろうと思った人間で、その理由の一つに「休みが多くて、自由な時間がとれる。」ということがなかった人間などひとりもいないはずだ。理由の一つどころではなくて、それしか理由がないといった人間だっていたに違いない。ぼくなんかは、「それしかない」というほどではないにしても、限りなくそれに近かった。

 ところがここへきて、文部科学省下の何とか委員会の一人が、夏休みは今の半分でいい、なんて提言したというのだ。近頃の新聞の投書欄にも「40日は長すぎる」とか「先生はいったい何をしているのかしら。」なんて意見が載ったりしている。

 こうなってくると「いいよなあ、先生は。」なんて嫌みですんでいた時代がのどかに見えてくる。羨望は嫉妬へとエスカレートし、「先生が夏だからといって休むのはおかしい。」となり、それがまかりとおると今度は「せっかく先生が学校に行っているんだから、子供の面倒を見るべきだ。」となるだろう。かくして、夏休みは3週間になる。なくなるかもしれない。

 それでも教師になろうと思う人間なんているのだろうか。「教育」に燃えた若者が陸続と教師になっていくのだろうか。考えるだに恐ろしい時代である。

 教師という「危険」な職業につくのは、「休みが多いから」というぐらいの意識の人間がちょうどいいのである。しかし、こんなことを言うとフマジメだと思われるだけだから、やはり誰も言わないだけのことである。


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