40 紙はエライ

2004.7


 毎年文化祭の季節になると、顧問をしている演劇部の公演のことで頭がいっぱいになる。演劇というのは、面白いけれど、なかなか厄介なもので、脚本の選定、配役の決定、稽古、舞台装置や照明、音響の準備、本番と、どこをとっても手の抜けないことばかり。なかでも脚本の選定がいちばん大事である。ところが、わが演劇部は男子校演劇部、男だけの芝居というのはやはり少ない。女も演じることはできるが、やはり限度がある。下手をすれば芝居を壊しかねない。

 それで、いきおい自分で脚本を書いてしまうということになる。演劇部を創設したのが今から17年ほど前のことで、その旗揚げ公演用に、宮澤賢治の「よだかの星」を脚色した。原作の力の故だろう、結構好評で、これに気をよくして、その次の年に、今度はオリジナル脚本「闇よ、我等の心を照らせ」なんていうのを書いた。オリジナルとはいっても、ストーリーはコルベ神父の話を借りた。ナチの強制収容所で、仲間の身代わりになって処刑されたカトリック神父コルベ師の話である。

 もっとも、そのコルベ神父の話を詳しく調べて書いたわけではない。人の身代わりになって死ぬなんてことが果たして人間にできるのだろうかということを、芝居を通じて考えてみたといったところである。

 16年前の上演は、「よだかの星」にはとうていかなわなかったという印象が強く残った。それでこの作品は恥ずかしい失敗作として忘れていた。ところが、今年の5月の文化祭の上演作品の選定のとき、ひとりの生徒が「これ、やってみたいんだけど。」と部員に提示したのが、この作品だった。演劇部室にホコリをかぶって転がっていた台本を読んだというのだ。部室といっても名ばかりで、衣装、布、材木、大工道具、ペンキの缶や刷毛などが雑然と詰め込まれたゴミ箱のような部屋、その部屋に残っていたその台本の表紙には靴の跡さえある。

 それならやってみようかということになり、どこかにテキストデータが保存されているだろうと探したが、考えてみれば16年前の原稿。そのころ使っていたのは、5インチフロッピー使用のワープロである。ワープロはおろか、そのフロッピーすら残っていない。結局、そのぼろぼろの台本を元にパソコンに入力し直し、めでたく新しい台本が復活した。

 やっぱり紙はエライ。紙は燃えるが、結構しぶとい。ぼろぼろになった紙の台本がなければ、その生徒の発見もなかったのだ。


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